

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-08-30 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
南米縦断に出発するまで、あと一ヶ月あまり。
これまでのユーラシア横断でもアフリカ縦断でもそうなのですが、実はそれほど神経が太くない私は、いつもこの時期になるとどうにもこうにも落ち着きません。

足を滑らせればいつ谷底に転落するかわからない不安があるからこそ、それを乗り越えて峠を目指す喜びが格別に感じられるんだろうなあと、私は思う。Click
朝起きて、「怖いなあ。本当にできるのかなあ……」と不安になり、それを払拭しようとパンを食べながら「いや、できないことはない。なぜってできないと思っていることは、自分でそう思ってしまっているだけだから」と思い、もう一度別の視点で自分がやろうとしていることを頭に浮かべ、客観的にできない理由を探せば、それも特に見つからず。だからやっぱりできるのだと思いながら、仕事を始めると、また何かの瞬間に不安が訪れ……。
道のないジャングルに道を作ろうとする作業は、常に不安の連続です。
でも、その時に、自分自身が「できない」って思ってしまったら全ておしまいだと思って、「できない理由はどこにもない」と思おうと、葛藤し続けています。
実行するまでまだ時間があるうちは、不安と希望が月単位、週単位で訪れるというのに、だんだん実行する日が近付いてくるにつれ、それは数日おきになり、一日おきになり、今となっては数時間、一時間おきに不安と希望の間を行ったり来たりしているという状態。
どんなジャンルでもそうだと思いますが、結果だけに着目すれば、何かに挑戦した人=神経が太い人というイメージがつきがちですが、私の実体験から言えば、それは逆なんではないかなあと思うことがよくあるのです。
私の今回、バスを走らせる舞台は南米。
まだ行ったこともない。どんな状況なのかもよくわからない。
そこにバスを走らせようなんて、不安要素を考え出せばきりがないほどある。
もしかしたら、ゲリラに遭遇するかもしれないし、もしかしたら強盗に遭うかもしれないし、もしかしたら風土病にかかるかもしれない。
でも。その可能性も拭い去れないならば、同時に、ゲリラにも遭わず、強盗にも遭わず、病気にも一切かからず、それよりももっと素晴らしい体験ができる可能性だって同時にはらんでいるわけですよね。
私はせっかくこの世に生まれてきたのだから、不安要素に着目して「やらない」よりも、それを超えて広がる未知の可能性の方に賭けて「やる」ことを選び取りたい、ずっとそう思ってきました。
だからそのおまけでついてくる不安感は、「やる」ことへのエネルギー源のようなもの。
失敗するのが怖いから不安になるわけですが、だったら自分ができることは、ベストを尽くして準備をし、一つ一つ不安要素を取り除いていけるように努力するしかないんですね。
そういう意味では、今の私はまさにその佳境。自分自身と戦っているという感じです。
毎日毎日国際ニュース欄に目を通し、悪い情報が載っていればインターネットを使って現地在住の人に確認をし、地図で標高を見ては車が壊れるのではないかと心配をし、それを払拭するために、現在はまだヨーロッパにあるバスの持ち主にエンジンの丈夫さを再確認し……。
そんな時、情報化社会というのは、いい面を持ち合わせていると同時に、人をますます不安にさせるという負の面を持ち合わせているなあと、よく思います。
アルゼンチン、経済危機!治安悪化!と報じられていれば、なんだかネガティブな面だけが想像されてしまうのですが、そんな時に現地に問い合わせてみると、それほどでもない状況がそこに必ずある。
昨年秋のテロの時もそうでした。
日本のニュースでは当時、海外渡航の危険性が随分とクローズアップされていましたが、私が同時期に訪ねたヒマラヤは、そんなぴりぴりした空気はどこ吹く風。涎を垂らした牛があちこちで寝ぼけた鳴き声を発していた村では、不安、どころか、なんともめでたい日常が心地よく流れていたのを思い出します。
今回の南米行きでも、いろんな人がいろんな心配をして下さいました。
情報化社会では、探せば町毎の強盗事件の件数データまであるのだから、驚きです。
不安感は倍々に膨れあがり、南米縦断をしようと思う気持ちが少し萎え気味になったこともありました。
けれど、そんな時に一番私が情報として信じることにしているのは、実際に私が行く道を、自分の足で実際に歩いた人々の情報。どんなに情報化社会になっても、最終的に信じて間違いのない情報というのは、ものすごく原始的な、「実際体験」の情報、つまり一次情報なんですね。
ですから、いろんな情報をとりあえず手当たり次第に集めますが、二次情報やデータ等は全部自分の中を通過させることにして、留めておく情報は、その現場に行った人がその目で見、その体で感じた情報だけ。
経験則から言えば、二次情報というのは不安をかきたてるネガティブなものが多く、でも一次情報というのはネガティブなものもポジティブなものもひっくるめた、より現場の実体に近いものが多いのが実感。
何かを企画・挑戦しようとする。すると手に入りやすい二次情報がいっぱい集まり、不安がかきたてられる。
ここで怖さを感じて、大胆にも諦めてしまったら、ゲームはそこでおしまい。
でもそこで、神経が細かければこそ、不安で怖いからこそ、なかなか得にくい、でも確実な一次情報に到達しようと努力する。私の場合は、南米縦断に挑戦しようにも、現地の状況が不安で不安で仕方ないから、逆に現地にまで連絡を取って調べてみる。
そこまでやると、これはイケルゾというポジティブな情報に巡り会えて、諦めるのに待ったがかかるんですね。
不安を感じないくらいに神経が太かったら、どんなにか良かっただろうと思う時もあるけれど、きっとそれでは何も成しえなかったのかなと思うのです。
不安万歳。不安があるから、何かを成し遂げられるんだ。
そう思いながら、また明日も南米縦断に向けて、不安と希望の間を行ったり来たりするんだろうなあ。
(次回に続く)