

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-08-09 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
地球五大大陸全走破を目指して、第三大陸めの南米へ。
「南米縦断バス」というのは、白川由紀という個人が、南米大陸5ヵ国を貫く国際路線バスを走らせるということに挑戦するなんとも無謀なプロジェクト。

山を登る時、遠く遠くの頂を見上げてしまうと、どうせまた降りてくるのにどうして登らなきゃならないんだろ、と思うこともしばしば。でもとにかく自分の足先だけを見て一歩一歩足を進め続けていれば、いつのまにか、下からは見えなかった月だって崇められる。やっぱり頂ばかり見ているとため息が出てしまうから、まずは目の前の一歩、足下の一段上を大切にしようと思うのは、山登りから教わったこと。↑Click
頑丈な車を買って、運転してくれる人を見つけて、そこに参加してくれる人を集めて、ルートを決めて、日時を決めて、私自身の取材に必要な機材をかき集めて、3ヶ月に及ぶ日程を滞りなくバスを走らせる。
ここにはいろんな条件が必要になってきます。
まず、何をやるにも必要になるのがお金。当然だけれど、バスはお金がないと買えません。
だから私は、日本にいる時はガイドブックの仕事、原稿執筆、写真貸与、講演など、コンテンツメーカーという仕事をしながら一生懸命お金を貯めています。でもバスを買うには、それだけじゃ当然足りません。
だから、これに賛同して一緒に参加してくれる人を募ります。
ユーラシア大陸横断バスを一番最初にやった時は、本当に大変でした。
電柱に手書きのビラを貼ったくらいでした(笑)。今思えば、それほどまでにやってみたかった、というかそのくらい挑戦しないと自分が負け犬になるくらいに思っていたのかもしれません。
私だって人間なので、そんな面倒くさいことをするんだったらやめてしまおうと思ったことは、たぶん50回(笑)以上はあったかと思います。
でも。やれることはあるはずなのに、それをやらずに「できませんでした」と言ってしまう自分は情けないと思った。24才だった私は、もちろん雑誌に広告を打てる資金を持っているわけじゃない。だからといって、旅行会社に話を持ち込めるほど、立派な自分だったわけじゃない。
じゃ、できることは何か。
口コミで身近なところから人集めをするか、あとは知らない人を集めるのだったら、ビラ配りをするしかなかったんです。
そんなの、できればやりたくないこと。
でも。
当時私が勤めていたラテラネットワークという会社の社長に、「人生は一度きり。何かしたいことがあるのなら、思い切って若いうちに会社をやめてそれに向かった方がいい」っておっしゃって、私を後押しして下さった社長の気持ちを裏切りたくなかった。
電柱にビラを貼るなんて、プライドも傷つくし、しかもそれをやってもバイト代になるわけでもないし、本当に辛かった。でもそれはやれば「できる」ことなのに、やらずしてダメだと思うのは何か筋が違うんではないかと思ったわけです。
今思えば本当に滑稽なくらい、要領の悪くて原始的な作業。
世の中はダメなことも多いけれど、その中にほんの少し、やっぱり希望は必ずあるものなんですね。
次第に人が集まってきた。
私の経験則から3%法則というのがあります。こんなことできない。絶対に無理だって思って諦める前にもう一度落ち着いて考えてみる。可能性の全てを試したかってことを。
旅行会社に話を持ち込むことはできなくても、広告を打つことはできなくても、電柱にビラを貼ることはまだできる作業として残っているわけです。
それをやってから無理だって言おうと思った。
もし、そのやりたいっていうことに到達するために100の道が考えられるとしたら、それを全部試す。すると100の全てを試すと、残りの3から道が拓けるってことを、私は自分の「大陸横断バス」を通して知りました。
でも、その3に行き着くためには、残りの97の無駄だと思われる行動をしないと、3には巡り会えないってことも知りました。
次回はそれを具体的に説明しましょう。(次回に続く)