

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-07-19 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
ニワトリやら山羊やらが一緒に乗り込むバスに、私とスーダン人難民スティーブは揺られていた。
スーダン人の父が西アフリカ・セネガルへ仕事で行った時見初めた母との間に生まれたスティーブの黒い肌は、褐色のエリトリア人達の中で一際目立つ。

見慣れるガイジンに、サボテンを雨期後に食べることを教えてくれたウィニちゃん8才。
「ニホンではエイゴを喋っているの?」と好奇心も旺盛。↑Click
車窓に写るアスマラの街は独立戦争の跡など振り向きもしないくらい、希望に満ちているように見えた。新聞では祖国を今後どう発展させていくかという議論が活発に行われ、人々は明るい光の中で再興に力を注いでいるかのように。 そしてその同じ瞬間に、隣国スーダンでは泥沼の戦いが繰り広げられている。人間の終わりなき欲望の堂々巡り。私は虚しい諦めと、ダメな子ほど可愛く思える愛おしさとその両方を感じていた。
揺れるバスの中で、スティーブは生々しい記憶を辿りながら、ついそこにある過去を噛みしめるように呟き始めた。
俺がしばらく銃を持っていた間に、敵側に知ってる奴を何度も見た。戦場で敵を見たら発砲しまくるんだ、ある程度距離が近づくまで。そこから先は味方を撃ってしまう可能性があるから、銃の先についたナイフで相手を刺す。
仲間の一人は相手側に弟を見つけてしまった。泣き叫びながら弟を刺しに走っていった。
……俺は全身から脂汗が吹き出し気が狂いそうだった。目の前で相手側の戦士と周りの仲間がバタバタと倒れていくんだ。巻き添えになった子供の亡骸を見つけたとき、絶叫し涙が止まらない自分に慌てた。
俺達は同じ国の人間だったんだぜ。どうして?なぜ?全身が震え喉はカラカラに乾いていた。一体なんのために殺さなければならないのか?その先にある平和を勝ち取るために仕方のない目の前の犠牲?
……そんなの嘘だ!戦って将来が見えたか?否。一体何年意味のない殺戮をやってるんだ!
俺の親父は南部解放戦線で軍医をやってる。平和が来るまで、最後の一人になっても銃を持って戦い続けると腹をくくっている人だ。でも俺は……何度も何度も自問自答を繰り返した揚げ句、俺と親父とは違うことを悟った。
『殺る』ほかに道はあるはずじゃないのか。………………きっとある。だが、まだ試していない。
銃を捨てるのだ。刹那的な戦いはやめて、第三国で新しい戦いに挑むのだ。
俺はそのままトラックに飛び乗り、ケニアへ逃げた。命の恩人だった南部解放戦線を裏切り、親父に別れを告げた。 ケニア国内の難民キャンプを目指したが人々で溢れかえっていて、とても俺が新天地を模索できる余裕はなかった。それでそのまま乞食のように金をめぐんでもらいながらエチオピアを通りここエリトリアへ辿り着いたんだ。
「俺にとってスーダンの内戦は悪くもあり良くもあったと思う。なぜって、戦争が起きなければ、俺はケニアやエチオピアなどを見られる機会はなかったわけだから。そうだろ?」
納得する理由を無理にこじつけようとしているスティーブの横顔を見ていられなくなって、目を反らした。バスがブレーキをかける度、棒につかまる無数の手が揺れる。
「スーダンは神から与えられた自然のままの姿で暮らしている人がたくさんいるんだ。貨幣経済が取り入れられたのはたった40年前。それまでは結婚の時には150頭の牛を納めていれば良かったし、今だって村じゃブツブツ交換だよ。服装だってビーズを使って一部を隠すだけさ。人間はそれだけでも十分生きていけるんだ」
「アフリカには深いコンプレックスがあるから黒い皮膚を茶色にするクリームがあるんだ。使っている友人もいたけれど、俺はしない。神が授けてくれた自然のままの色が一番美しいと思うから」
スティーブが袖をまくり上げると、隆々としたチョコレートブラックの腕に幾筋もの火傷の跡が刻み込まれていた。真っ暗な牢獄で理不尽な拷問を受け、真っ赤な鉄棒を押しつけられられている彼がふと頭をよぎった。
バスが坂道に入ると、棒につかまるカラフルな三色の腕が幾分筋張った。
エリトリア人の褐色とスティーブのチョコレートブラック、そして私の黄色。
「国際連合、だね」
スティーブは急に子供のようになって目を細めると、こそこそと耳元でささやいた。
(次回に続く)