

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-07-12 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
ひょんなところで出会ったスーダン人難民、スティーブ。
彼のキャンプを訪ねるべく、二人でバス停へ向かった。
「人の運命なんて儚いものだよ」
と、彼はこれまでの身の上を語り始めた。

空は抜けるような青空。なのにそこを走るラクダがあばらを見せていることが、
戦争の痛手を感じさせ、少しもの哀しい。↑Click
俺は国費留学でレバノンのアメリカ大学で政治学を勉強していた。父親がスーダン南部解放戦線に加担していたこととも気にくわなかったのだろう、ある日突然スーダン政府の役人が大学にやってきて俺を捕まえた。そしてパスポートを取り上げ、本国に送還したんだ。何の説明もなく。
ある日を境に、いきなり牢獄にぶちこまれた。真っ赤になった鉄棒で腕に烙印押されてさ、俺にとっては拷問そのものよりもなぜそんな目に合わされるのか理由がわからないことの方が辛かったよ。
体を折り曲げてやっと寝られるくらいの広さの部屋で、朝6時と夕方6時だけトイレに行くのが許される以外は糞尿垂れ流し。1ヶ月に一回だけ15分間歩くのを許された。
来る日も来る日も真っ暗な昼も夜もわからず時間の観念も失いかけていた時、幸運にも国際赤十字の人に見つけられ、牢獄から外に放り出されたんだ。
ガリガリにやせ細った体で農民に変装し、750?先のケニア国境目指してひたすら歩き通した。俺と同じ目にあった仲間はあと4人。彼らはたぶん今頃もう殺されてい
るだろう。そして俺は現政府を憎み、途中で俺を助けてくれた南部解放戦線側について内戦に参加したんだ。
私は単なる暇つぶしに話につき合っていただけだったというのに、いつのまにか彼の話に没頭していた。
改めて彼の顔をしげしげと眺めた。若干21才。
目の奥に溜まった憂いがこれまで生死の間にいた時間が長かったことを物語っている。死をよく知る人間が持つ独特の生命力が全身にみなぎっている。
青い空に鮮やかに映えるブーゲンビリアが咲き乱れる中、額に十字架の入れ墨を施した女性達がお店のウィンドウを覗き込んでいた。欧米からの援助品として流れてきたジーンズや革靴が一ヶ月分の月給ほどの値段をつけて収まる陳列棚。ウィンドウをちらりと見ながら、先日チョッキを買った店のことを思い出していた。
楽しそうにおしゃべりに花を咲かせる40代の男性二人は、しきりに日本の社会環境を知りたがりお茶をすすめてきた。私の家族構成を聞き終わったあと、一方の男性が言った。
『独立戦争が始まって大好きだった兄貴と離ればなれになって20数年、やっと戦争が終わって再会できた。兄貴とよく番してた爺ちゃんの店に倣ってここを二人で開いたんだ。何しろ時間がもったいなくてねぇ、僕たちはこれから青春を取り戻すんだもんな。なあ兄さん』
人生の3分の2を終えて初めて味わう春。戦争を終えた街には、長い冬眠から醒めた兄弟愛があった。
ふとその兄弟のことを思いだし、スティーブに訊ねてみた。
「内戦ってさ、兄弟で不運にも違う立場を取ってしまったら、どうなるの?」
情と大儀。極限状態の人間がどちらを選択するのか、私はそれを体験した人に訊いてみたかった。スティーブは自嘲気味に笑うと、こちらをまっすぐ見て言った。
「血のつながりは二の次だ。戦いはドライなんだぜ」
難民キャンプ行きのバスがやってきた。私はスティーブに後押しされるように、そのバスに乗り込んだ。
(次回に続く)