

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-05-31 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
シュレイマンの全開放的テントのある場所は、風の音だけがすーっと耳のそばを通り過ぎていく空間だった。
ヤギがごそごそと辺りを動き回る以外は、モノの動いている気配が一切ない。私の目の前にあるのは、乾ききった岩山と空、そして一面を覆う砂とそこにへばりつくように生えた草だけ。

ベドウィン族が淹れてくれるのは、野生ミントの葉を入れたお茶。
日本で飲めば気持ち悪くなりそうな甘ったるいお茶も、乾ききった環境では喉にすっと馴染む。
環境の最適化が行われたお茶とでも言おうか……。
ふと思いついて、シュレイマンに好きな色を聞いてみた。
「緑、だな」
茶色と青に埋め尽くされた世界では、誰しもが「緑」に恋い焦がれているのだった。
昔イランでも同じようなことがあった。地元の人が私を「とびきりステキなところ」に連れていってくれると言う。それがどこなのかと思ったら、日本によくある小さな児童公園のような場所だった。
なんでそんなところが「ステキ」なのか、私には全くわからなかった。が、後でわかった。茶色の土漠の世界では、ほんの少しの緑が、人々の心に宝物のように感じられるものなんだ、と。
砂漠のテントの周りは、もう何千年も風景を全く変えていないように感じられる。
人が誰もいない火星に置いて行かれたような、天上界に来てしまったかのような。
それでも、全く飽きを感じないのが不思議だった。
空というキャンバスに描かれた雲は、刻々とその形を変え、砂漠というフレームに映し出された風紋は、風が吹く度にその模様を変える。
東京にいた時にだって、ビルの間に空は見えていただろうに、私の心はなぜそれをキャッチしていなかったんだろうと、逆に首をひねった。
限りなく続く地平線を見ながら、遠く遠く、同じ空の下にあるだろう、東京を思った。
何もないけれど、周囲の自然が悠然と表情を変えていくベドウィンの世界と、今日もめまぐるしく背広を閉めた人々が高層ビルの間を歩き回っているだろう東京という世界。
あまりにも違う二つの世界が、今この同じ日同じ瞬間に、空という空間を通してつながっているのが、奇跡的に思えた。でもそれは夢ではない、現実。
1998年の3月13日、片方ではヤギの世話をしながら生計を立てる世界があって、もう片方ではパソコンを叩きながら一日が終わる世界がある。片方では太陽の光を遮るために、昼間ずっとテントの陰にじっとしている世界があって、片方では北風に打ち克つために空調をつけっぱなしにして仕事をしている世界がある。それが本当に不思議だった。
地球は私の小さな想像を吹き飛ばすくらいに、広い。それも実際に来てみなければ、わからなかったこと。
マットレスの横を、アリンコがちょろちょろと歩いていった。足が長い。
気付いてみれば、ラクダも、ゲンゴロウのような昆虫も、砂漠の生き物は総じて足が長いように思える。それもお腹を熱い砂に擦ってヤケドをしないためなのか。ふとシュレイマンを見ると、彼の足も随分と長いように見えた。
オフロードバイクも四駆の車も、もしかしたら砂漠の生物の背格好に倣って作られたのかもしれないなあ……。
四輪駆動車のような形をしたアリンコが、スプリングを効かせながら歩いていくのを観察しているだけで、軽く1時間が過ぎていく。足下にこんなに楽しい観察材料が転がっているとは、東京での私はすっかりそれを見逃していた。
沈黙したまま、時間だけが過ぎていく。と、テントの裏から次女のムラハが顔を出した。
シュレイマンの家族は総勢12名。現在42才の彼は20才の時に当時14才だった奥さんと結婚したのだという。子ども達は19才の長女を頭に全部で10人。シュレイマンは、自分の身分証明書を私に差し出した。
パラパラめくってみると、シュレイマンの欄は1ページしかないのに、奥さんの欄が4ページもある。とりあえずは奥さん一人のシュレイマンだが、証明書上はいつでも次の奥さんを付加できるようになっている。一夫多妻制を採用しているところの証明書はこうなるのか……と、私は妙なところで感心してしまった。
シュレイマン一家は放牧で生計を立てる家族。政府がベドウィン族の定住化のために作った町の「箱」と、砂漠にあるベドウィン族の伝統的住居「テント」の間を行ったり来たりしながら暮らしていた。
今日テントにいるのは、シュレイマンと長女、次女の三人。
太陽の光がかなり柔らかみを帯びてきた頃、次女のムラハが一斉にヤギを追い立て始めた。
そろそろ放牧の時間らしい。私はそっとついていくことにした。
(次回に続く)