

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-05-17 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
大陸を、陸路で長く旅すると、時として予期せぬ事態に遭遇する。
私の旅はいつも、車と仲間が一緒。それで1万数千キロに及ぶ道のりを何ヶ月もかけてトコトコ走っていくのだから、なにも起きない方がおかしい。灼熱の砂漠地帯はアスファルトもべたーっととろけかかっているし、轍だけの悪路ではタイヤが沈んでしまうし、でもなんだかそんなハプニングの一つ一つを乗り越えるところに旅の喜びがあったりするのかなと思ってみたり。

ベドウィン達が暮らす世界は、とてつもなく静かで
違う宇宙にやっていたかのような錯覚を起こさせる。
インディージョーンズの撮影現場でもあった、ヨルダンのペトラからワディラムというところにいた時もそうだった。
このあたりは、ベドウィンと呼ばれる遊牧民が暮らす砂漠地帯。
蝿は少しでも水分のあるところを求めて、人間の目元か口元に勢いよくたかってくる。
カラカラにひからびた空気はとてつもなく残酷だ。皮膚はガビガビと象の皮のようになり、口はぱりぱりになって、八重歯の出た私は乾いた唇がそこに引っかかって、笑った後は引っかかった唇を指で下ろす始末。
キーンと耳鳴りがしそうな灼熱の太陽を恨みながら、私は思考力を失い、ただただ車窓にもたれかかっていた。
私が目指していたのはベドウィンの村。トラックはアスファルト道路を離れ、西部劇を思い起こさせる岩場だらけの地区に入っていった。
あたりは一面の白砂。空の下にぼやーっと地平線が続いているのだが、暑さで蜃気楼が出ていたので、地平線の上に湖があってその上に陸が浮いているように見えるので、こっちの頭がイカレてしまったのかと何度も目をこする。
と、車のエンジンが何度かうなった後、タイヤが空回りを始めた。
スタックだ。こんな砂漠でスタック……。360度地平線に囲まれた世界に、私達の車がぽつり。
急に目が覚めた。まずい。こんなところでスタックしたら、今日は食料も備蓄がないし、なんといっても月面に着陸してしまったかのような人気の全くないところで夜を明かすのは怖い……。
とりあえず、外に出た。タイヤが白い砂の中に完全に埋まっている。運転手のステファンが堅い板をタイヤのところに置きエンジンをかけ直したものの、あえなく割れてしまった。なんという不運。
ピンクに染まった周囲の岩が夕暮れ時を知らせる。焦れば焦るほど、何をしていいのかわからなくなり、拾ってきた小石も深い砂を前になんの役にも立たなかった。
ヤケもある程度まで達すると諦めに変わる。2時間ほどジタバタしてどうにもならないとわかったところから、もうここで死ぬのも天命よと開き直った。
砂に埋まった車を眺めながら、ため息をついて耳を澄ませた。音のない音。そういえば、無音の世界なんて、東京にいたら無縁だよなあ……。あまりの音のなさに、一瞬、自分の方が聴覚を失ってしまったのかと焦り、慌てて手を叩いてみた。聞こえた。やっぱり耳は正常なのに、周囲が怖いくらいに静まりかえっていただけだったんだ。
時々岩に当たる風の音が、まるで砂漠という舞台の主人公にでもなっているかのように、妙に耳にさわる。
助けが来なければ、私達は砂漠の遭難者。周囲にラクダの足跡と轍が数本あるところを見ると、時々は誰かが通っているのかもしれないが、それは明日かもしれないし、1年後かもしれない。
少なくとも。数日だったらビスケットだけで生きられるけれど、二週間だったらもたないな。
こんな辺境へ来てしまったことを後悔した。
やることもなく、暇つぶしに草をむしりながら数時間が経過した。仲間達もみんな無言。
ステファンだけが、まだ諦めきれないようで、時折思い出したようにエンジンをふかしていた。
私は日本にいる家族と友達のことを、脳裏にちらつかせながら、ただぼーっと地平線を眺めていた。
日も暮れかかった夕方19時。突然エンジン音が聞こえた。車だ!助けを呼ばなきゃ!
しばらくすると地平線の彼方に動く黒い点を見つけた。やっぱり車だ!私達を見つけて!
持っていた赤いトレーナーを必死に振った。黒い点がだんだんと近付いてくる。
地獄に仏とはまさにことこと。これで砂漠で遭難という文字を新聞に踊らせずに済む。ほっと胸をなで下ろした。
さび付いたトヨタから降りてきたのは、真っ青な服にターバンを巻いた長身のベドウィン族の男性だった。英語は全く話せないようで、筆談をした。私も必死で笑顔を作りながら、両手両足を使って車がスタックしてしまって動けなくなってしまったのだと説明した。すると、シュレイマンと名乗る男性は、遠くの方でエンジンがうなる音が聞こえたので来てみたとジェスチャーで言った。彼らが驚異的な目と耳の良さを持っていることは、何かの本で読んでいた。
けれど、まさか、私達だったら聞こえないだろう遙か彼方の音を、感づいて来てくれるとは……。
彼はロープはあるかと私達に聞き、それを自分のオンボロ四駆に引っかけると、あっという間に私達の車を砂の中から引っ張り出した。
私は言葉も全く通じないシュレイマンの手をとって、とにかくあらん限りの「ありがとう」を連発した。
砂漠という乾いた環境で地元の人に助けられたことは、本当にうれしかった。
それがまた、次の新しいハプニングを生んでくれた。
(次回に続く)