

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-05-10 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
日本から遠く離れたヒマラヤに、ひっそりと佇むブータン。そこにはニッポンの原風景がいっぱい詰まっているかのような錯覚を、私に起こさせた。

秋のお祭りに向けて、学校の校庭で踊りの練習をする学生達。
ブータンでは教育費(寄宿舎付き)、医療費は、基本的に無料だ。
昔、おばあちゃんの家で見せてもらったセピア調の写真。その中にある風景をそのまま切り取ったかのような。自分の遺伝子だけが記憶しているような風景に何度も出会い、その度に鳥肌が立った。
ブータンと日本は文化の共通性が多い。
まず衣。前回も書いたけれど、ブータンで義務づけられている伝統衣装は、日本の着物にかなり近い。唯一違う点といえば、日本の着物ほど着方が難しくないこと、そして男性用は膝丈であること。
首都のオシャレな青年達は、その膝丈着物に長靴下と革靴を合わせ、トラッド風にまとめている。伝統という型の縛りの中で、靴下と反物の色あわせの部分を自由に楽しんでいるかのようなところが、実にカッコいい。
そして女性達はといえば、奥ゆかしきキラに身を包み、柳の木が並ぶ通りを楚々として歩いている。が、夜は一転。首都ティンプーで週末のディスコへ行くと、まったくイマドキの洋服に身を包んだオネーチャン達が、仲間とワイワイ踊っていた。
伝統を徹底的に守りながら、その一方で臆することなく取り入れていく新しさ。そのコントラストがなんともいえずステキに見えた。
街の建築にしてもそう。
田舎はもちろん、首都でも、外観は全て「ブータン的デザイン」で統一するようにという法律が定められている。そのためか、普通の民家はもちろん、ガソリンスタンドから銀行、病院、オフィスに至るまで、外観は全て手の込んだブータン式細密画が描かれている。それゆえ、外国からの来訪者は時代劇のセットの中にいるような錯覚を起こすのだが、だからといって中も昔風かというと、必ずしもそうではない。洋式の設備と建築スタイルがさりげなく取り入れられている立派な建物も数多い。
病院も不思議な雰囲気だった。
西洋医学部門と、東洋医学部門とが一緒に入っている。お医者さんは患者さんを見てその治療法を東洋医学にするか西洋医学にするか決めるそうで、さらに病院の中庭に大きなマニ車(経文が入った仏具)が設置されていた。そして裏庭では、東洋医学に使う薬草を、職員達が一生懸命煮出している真っ最中だった。
西洋医学と東洋医学は反目することもあるのでは?という私の問いに、
「いや、極端に違う二つの方法は、融合させることでもっといい方法を生むんだよ」
と、お医者さん。
私もちょうど風邪を引いていた時。同じ病院内で針治療をやった後、抗生物質を飲んだらてきめんに効いた。
食も、今日本で健康食として流行っているものが、ブータンでは日常食として食されている。
主食は赤米。日本の赤飯の原型とも言われているお米で、ポソポソとしているが、噛めば噛むほど味が出てくる。さらにお蕎麦を食べているのにも驚いた。米を栽培し
にくい標高にあるブムタン谷というところでは、ソバを食べているところが多い。といっても、麺の作り方は日本のような手延べではなく、ところてんスタイルの押し出し形式。山岳国では魚のダシ汁などないので、そこはブータンの人々が大好きな唐辛子&塩和えでソバを頂く。
そして夜は、盆踊り。調和を保ちながらみなで円になって舞うスタイルは、やはり日本と一緒。
私はある夜、当時ブータン政府の社会大臣をやっていた友人のお父さんと話をしていた。
「日本は戦後急成長を遂げて、でもその分伝統とか自分たちの文化みたいなものをどこかに置き忘れてきてしまったところがあるように思うのですが、ブータンは随分と伝統文化保護に力を入れているんですね」
そんな私の問いに、老大臣はこう答えた。
「そうだなあ……。我々はね、職業柄いろんな周辺諸国が西欧の影響を一気に受けて、独自の文化を失ってアイデンティティを模索しているのを実際にこの目で見てきたんだ。だから自分のこの国に関しては、長い間鎖国をしていたということもあり、どうやって新しいものを取り入れ、どうやって伝統を残すか、つまりどうやって伝統と新しさを共存させていくかというところにもの凄い気を使っているんだよ」
「西欧の考え方と我々の考え方は違う。だからこういう時代になって国を開放せざるを得なくなっても、急激に開けるのではなく、ゆっくりゆっくり、我々のペースを守りながら軟着陸しないと、ね」
私がブータンを最初に訪れた年から約10年の月日が流れた。今もブータンは軟着陸に向け、マイペースで飛行を続けている。