

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-05-03 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
私はトレッキングに出かけた。馬に荷物を積んで、四泊五日のヒマラヤ行脚。
時は21世紀。瞬時に目的地に行こうと思えば、日本なら飛行機、電車、バスで効率的に移動できる時代に、あえて馬と徒歩で移動する環境は、私にいろんなことを気付かせてくれた。

私達が車を巧く扱うのと同様、彼らは実に巧みに馬を操る。
次の場所へ移動する朝、馬はまた自分の背に重い荷物が積まれるのを察知してか逃げようとするけれど、
彼らにすぐ捕まる。おウマさん、御苦労さま。
昔「ゾウの時間、ネズミの時間」という本を読んだことがあった。
時間の流れというのは、社会環境によって全く違う。絶対時間は1時間であっても、日本とブータンではその単位時間当たりに行う作業量があまりにも違う。
東京で10分間に電話を取り、ファックスをし、メールを読み、その他諸々の用件を済ませることを頭の中で考えているなら、ヒマラヤトレッキングでの10分は、お茶を飲むための薪集めのために山林を分け入ったばかりの時間。なにしろ、山の中では「お茶を飲む」という行為のために、約40分という時間がかかる。そんなペースの中で暮らしていると、三食作って洗濯、が一日に済ませられる用事の限度。「町の郵便局まででかける」なんて作業は、丸一日をあけておかなければならないということになる。
昔、京都へ行った時、面白い話を聞いた。それは単位時間当たりの用事が増えたサルの話だった。
嵐山のサルは、その昔、エサ探しを自分たちでやっていた頃は、それで日が暮れていた。
が、人間がエサをあげるようになり、それに費やす時間が要らなくなるとその分のんびりするのかと思いきや、今度はヒマになりすぎて仲間とのケンカに時間を割くようになったという話。
そういえば。水族館のカニもそうだった。
私がタイでシュノーケリングをした時に見た野生のカニは、自分のハサミでナマコを懸命に切って食べていた。なのに、池袋の水族館で見たカニは、人間によってエサが自動的に与えられるため、よっぽど挟むものに困ったのか、もしくはやることがなかったのか、なんと自分のハサミで自分の目を挟んでいた。
ニンゲンも然り。のんびりくつろぐ時間が得られるのを夢見て、一生懸命便利にしてきた。洗濯機に電子レンジが全部自分の手の代わりにやってくれるのだから、その余った時間をありがたく享受してのんびりする方向に行くのかと思いきや、さらにその時間を使って、もっと時間を凝縮できる方法はないかと働き始める。
ハムスターと回転車に例えると分かり易い。
東京ハムスターが回転車を、一分間の間に50回転させているとすれば、ブータンハムスターは一分に一回転。
東京ハムスターが回転車を効率よくまわしているために、回転車そのものの感触を味わっている余裕がないとすれば、ブータンハムスターはあまりにも回転数が遅いために、回転車の感触を存分に味わってしまう、そんな感覚。
その回転車とは、ニンゲン社会で言うと「生活」。
ブータンという世界は、十分過ぎるくらいの「生活をしている感触」が得られる場所だった。
トレッキングの途中、黄色に色づいた柳が川の両岸を彩る谷では、村対抗の弓試合が行われていた。男性はゴ、女性はキラと呼ばれる、日本の着物と酷似した民族衣装の着用が義務づけられているブータンは、まるで日本の江戸元禄文化の最盛期を見ているかのよう。小さな着物に身を包んだリンゴほっぺの子ども達がのら犬にちょっかいを出し、その横で村人達がわいのわいのと言いながら、地べたに座って持参の弁当と地酒を酌み交わし、弓の点数に一喜一憂。
試合に勝った村は、住民総出で盆踊り。女性も子供もおじいちゃんもおばあちゃんも、みんなが輪になって声高らかに歌い、舞う。テレビを持たない彼らにとって、歌はなによりの娯楽。私も歌えと言われて日本の歌数曲を披露したが、持ち歌数30曲以上という彼らには到底ついていけなかった。
なんだか、国を挙げて時代劇を演っているかのような雰囲気に私は腰を抜かした。
と同時に、日本の江戸時代もこんな感じだったのかなあと、ほんの少し、郷愁の念に駆られた。
スローフードやスローライフという言葉が流行としてとりあげられるようになった昨今のニッポン。「生活をしている感触」がなくなるくらい、効率化を目指して回転数を上げて突っ走ってきたその反動が、出てきているんだとしたら……。ココロが疲れ切ってしまう前に、21世紀に現存するスローライフの国・ブータンを訪ねてみるのは何かのヒントになるのではないかと、私はふと思うのである。
(次回に続く)