

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-04-26 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
極端に違う世界を見ていると、自分のいる世界も客観的に見えるようになる。
GNHという価値観に在るブータンと、GDPという価値観に在る日本。

ブータンの祭りでは、死後出会うと信じられているたくさんの神様が登場する。
これを生きているうちから見慣れておけば、その瞬間が来ても路頭に迷うことがないからとは、現地の人の弁。
お金はあればあっただけシアワセになれると信じてきた頑張ってきた日本。これだけモノは溢れ、食物にも困らず、なのに年間3万人もの自殺者を出し、しかもその数は年々急増している。一体私達が夢見ていたシアワセはどこに行ってしまったんだろう?と多くの人が感じている昨今。
私はブータンを訪れたことで、自分の中に宿った価値観にアンチテーゼを投げかけられた気分になった。
ある時、私が一緒に連れていた60代の女性が、2000$(約26万円)という大金を前日に宿泊したホテルに置き忘れてきてしまった。途上国でお金を落としたらまず戻ってくることはないというのが経験則。
ところが。中味を覗いたホテルのマネージャーが、「これは大変だ!」と慌て、自ら7時間の道のりを車を飛ばし、届けてくれたのだ。ゼイゼイと息を荒くしながら開口一番言ったのが「これだけの大金をなくした彼女は大変な思いをしているだろうと、一刻も早く届けなければと思って来ました」。
東京サバンナを生き抜いてきた私だったら、警察にちゃんと届けるかどうかは、正直言って自信がない。
なのに若い30才の彼が、素直に落とした人の気持ちだけを考えてやってきたのである。
なんだか唖然としてしまった。
こんなこともあった。
やはり私が一緒にいた50代の男性がお財布をあけた時、強い風が吹いてきた。たくさんの1$札が風に乗って宙を舞い、飛んでいってしまった。
途上国を旅行する時の鉄則は、『自分の身は自分で守れ』。公衆の面前でお金を出すのは言語道断。しかも風に吹かれて持って行かれては、普通はそのまま周囲の人々の懐に入り、まず戻ってこない。
それが。ドル札を見た周囲の人々は、全く興味なさげにお金を拾って手渡すと、そのままどこかへ行ってしまった。
普通は、まず自分が経済的に豊かでなければ、人のことなぞ考えられないというではないか。
なのに、GDPで下から数えた方が早い、要するにビンボーな国の人たちが、金に執着を持っていない。
この国はどうなっちゃっているんだろう?全く謎だった。
私は現地の青年に根ほり葉ほりしつこくいろんな事を聞いた。
それによると、ブータンに貨幣経済が入ったのは1950年代。もともと大農村地帯だった地域に国家を樹立させたようなブータンは、首都ティンプーという町も、人々が集まって自然発生的にできた町ではなく、国が人工的に創り上げた町なのだ、と。
「金は人生の一部で全てではない」とあまりにも清く正しい美辞麗句を連ねる27才の青年に、私は意地悪な質問を連発した。
「でもさ、でもさ、あなただって若いんだから、欲はあるでしょう?例えばお金持ちになりたいとか、ウォークマンが欲しいとか、会社の社長になりたいとか、車を買いたいとか、さ」
「そう思う時もある。でもその欲望が達成されたところで得られるシアワセなんて、一瞬のものだから」
過去にあらゆることをやりつくして、モノも得尽くし、お金も稼ぎまくった長老に言われるのならまだ納得がいく。確かに私だって、欲しいモノを買って得られる満足はほんの一瞬しか続かず、また新たな欲望に翻弄されるのはわかっている。けれど、たかだか20代後半の彼に、それをわかったかのように言われるのがとてもシャクだった。
「だけど。やっぱり欲しいなあとかは思うんでしょ?」
「それは思う。でもさ、考えてみなよ。例えば車を買う。で、うれしくなる。でもそれと同時に、事故を起こすリスクも同時に背負うことになる。会社の社長になる。頑張って稼ぐぞと思う。でもその時に同時に、持ってしまった会社がいずれ全部なくなるかもしれないリスクを背負うことになる。ウォークマンが手に入って喜ぶ。でもそれが壊れてしまった時には、喜んだ分だけ哀しくなってしまうかもしれない。俺自身に関していえば、大きく舞い上がって、大きく落ち込むより、なるべくその差が少ないよう、小さく小さく生きていくことを今は選択している。結局どっちの道を取るか、だと思うんだよね。だからあえて車が欲しいと痛切には思わないし、金持ちになろうと強くも願っていない。だって、俺はここに生きていられるだけで十分シアワセだから」
僧侶の話を聞いているような、若年寄と話をしてしまったような実に奇妙な気持ちになった。
と同時に、どんな環境にいてもシアワセだと思えるかそうでないかは、本人の考え方次第なんだなあと思った。
あまりにも淡々とした、クールな考え方。それは彼の死生観においてもそうだった。
「生きているから死ぬわけで、ゼロに戻るだけのこと。つまり元に戻るだけのことだから、そんなに騒ぐことじゃないんだよなあ。長く生きてりゃいいってわけじゃないし、その分苦労も増えるわけだし、やっと死ねるっていう考え方もできるだろ?だから周囲は明るく、よく頑張ったねって送り出してあげたいよな」
若者があまりにもいろんなものに執着のない考え方をしていることに、私は非常に驚いた。
淡々とした言葉の中に横たわる、生き抜くための知恵。
国中を覆う仏教観の中で育った彼だからそういう考え方ができるんだろうなあと思いつつ、なんだか普段の日常生活では考えもつかなかった大切なものを見せてもらった気がした。
(次回に続く)