

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-03-29 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
現代のジュラ紀を生活の舞台としているサラサエモンにとっては、ニンゲン種よりも他野生動物種の方が圧倒的に多い世界の方が当たり前。水路をゾウが横切っていると、なるべく刺激しないようにじっと待つ。そして野生動物から身を守る知恵を皮膚感覚として身につけている。

ニンゲンとすれ違う数より、野生動物とすれ違う数の方が圧倒的に多い。
そんな環境がボツワナ・オカバンゴデルタには残っている。
五感を、空気の匂い、気配、葉の色、水の色、道脇に落ちている糞の色、そして砂の上に僅かに残った足跡に集中させ、近くに猛獣がいないかどうかを的確に見極める。そんなサラサエモンが私に尋ねてきた。
「ニホンってのは相当大きな国なんだろ?」
オカバンゴを訪れる観光客は、ほとんどがヨーロッパ系白人だが、その次に多いのが日本人。その比率を見ていたオカバンゴから外に出たことのないサラサエモンの世界地図は、地球のほとんどの領土を占める巨大帝国ヨーロッパと、二番目の広さを誇るニホンと、領土の小さな小さなアフリカで成り立っているらしかった。
経済は…と言いかけてやめた。
「もちろんニホンにもゾウや鹿はいるんだろ?」「でもほとんどニンゲンだけだよ」「どのくらい?」「一億二千万」「…」
水路を一日8時間進んで人一人と会うか会わないかのところで生活しているサラサエモンにとって、この天文学的数字はほとんど飲み込めていないようだった。
「そうね、サラサエモンがモコロ(小舟)で100m進む間に、70人くらいのニンゲンとすれ違うくらい」
サラサエモンは口笛を吹いた。
今度は私が訊いた。「家族は?」
「妻と娘二人と息子一人と…」ここで急に声を潜め、照れ笑いをしながら付け加えた。
「ガールフレンドが何人か」
インパラ(小鹿の一種)もオスは常にたくさんのメスを従えて歩いている。私がそのことを言うと、彼は笑った。
「ニンゲンも自然の法則には逆らえないからな。女性だってボーイフレンド作ってる人多いし…」
森のおおらかな空気の中で聞くこの言葉は、特に違和感を感じさせないのが不思議だった。
サラサエモンは疲れたというと、パドルを置き、小舟にしゃがみ込んだ。
怖いくらいに透明感がある水の中から蓮の茎を取り出すと、それをストローにして水路の水を飲み始めた。ゾウの死骸を水路の中に見た私は、いくら喉が渇いていても同じことをすることができなかった。
躊躇している私を見て、サラサエモンは言った。
「自然っていうのはさ、汚いものは何もないんだよ。アフリカのある地域でも人口が増えすぎたところはいろいろ病気も発生しているが、少なくともここは人口は極端に少ないし、動物もどれかが極端に増殖しているっていうことはない。ゾウが木をかじって木は死に、そこに微生物が宿って土に還り、それが植物を育てる。大きく成長した木はその葉を草食動物に食べられ、また子象もそれで育つ。ゾウも老いれば自然に仲間の群れについていけなくなり、この湿地帯に倒れる。それをハゲタカが食べ、朽ちたところで水中の魚がそれをついばむ。その魚もいずれは死に、その栄養を頼りに蓮が綺麗な花をさかせる。何一つ無駄なんてありゃしない。汚いどころか、全てが全てのために役に立っているんだよ、自然は偉大だよ」
祖父から、水は水路のどの辺りのを飲めばいいと教えられたというサラサエモンを信じて、私も蓮のストローを口にしてみた。ひんやりと冷たい水は意外にも、ヒマラヤ6000mの峠で飲んだ石清水の味に似ていた。(次回に続く)