

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-03-08 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
水がない時の食事作りは大変。当然山中に運んだ野菜を煮炊きできないから、缶詰食になる。
が、これまた水分のあるものはすべて凍っているので、まず溶かす作業から始めなければならない。そして煮炊きしなくてもよいもの=フライドポテト。というわけで、食事は必然的に毎度毎度食パンとフライドポテトというメニューになった。

旅も終わりに近づいた時、私が偶然持っていた毛穴すっきりパックにみんなで挑戦。
「でもなんで日本人はそんなところまでキレイにしようとするの?」と現地のコックさん。
「ヒマなのかなあ…」。
毎晩毎晩カレーとラーメンの夢にうなされた。
山に入って10日目には、マニキュアを塗ってオシャレをする自分を夢に見た。
そしてこの時、なにかを渇望した時「夢に見る」という言葉はまさにその通り!と確信した。
イモで食いつなぐ彼らを見て、彼らにも聞いてみた。「美味しい御飯を夢に見ない?」
すると彼らは笑ってこう言った。「何食か食べないくらいで、別になんとも…。それより火にあたりなよ」
この時、水がなくても食べられる食材は彼らにとってイモだけだった。数も僅かしか残っていなかったので、割り当ては一人一食に付き、小さなピンポン玉サイズのものを二つ。
毎日約50kgの荷物を背負い、長時間歩き、お腹はペコペコのはずなのに「まっ、ないものは仕方ない」と悠然と構え、強風が吹き荒れるなかで灌木を燃やして一瞬の暖を取る。愚痴も冗談にして流す。まさに、極限地の超人。
彼らを見ていると、不況だと言いながら、山ほどの料理を食い散らかし、国丸ごと株価動向に神経質になりながら、ビールをかっ喰らっているどこぞの人々は、なんだか滑稽に見える。
極限状態の中で、凍り付くような寒さにストーブはなく、時には水もなく、食はイモだけ、さらに足下は歩きにくい岩だらけという状況を一度体験すれば、身の回りの全てのものが本当にありがたく思える。
水のない日が続いた数日後、温かいスープをお腹いっぱい飲めたことがどれほどうれしかったか。
木がないので薪もない。でも30秒で燃え上がって消える灌木の火が、どれだけ役に立ってくれたことか。
だんだんと標高を下げてきて緑が多くなってきたとき、目は物事を旅以前とは全然違う捉え方をした。
しっとりとした苔がどれだけ美しく見えたことか。
松の木の周りを飛ぶ虫が、どれだけ活き活きして見えたことか。
木々の緑は光り輝き、花などは楽園のもののように思われた。
それまでが、生命の匂いを感じさせない標高にいたせいか、前だったらあんなにうっとおしかったハエがありがたく感じられるなんて…。ぷっと吹き出してしまった。
そして。15日ぶりに車を見た時。
不覚にも泣けた。もう歩かなくてもいいとわかった時に、うれしさを通り越し、訳のわからない感動を感じたのだ。そして乗車。歩かなくても「移動している」ことに驚嘆し、叫び声をあげてしまった。
地上にはいろんなイヤなこともある。この世は地獄だという人もいる。
でも。標高5800mの極端にも何もない世界から戻ってきたあの時の私にとっては、ヒトがいて、動物・昆虫がいて、ビルがあって、市場が賑わっている世界は、楽園以外のなにものでもなかった。
どんなに大変なことがあっても、ちょっと目線を違うところに向ければ、美しい鳥が飛んでいる。蝶も舞っている。草木が活き活きと育っている。そしてなにより、イモ以外の御飯をお腹いっぱい食べることができる。
もし。楽園にいる人が、そこを楽園と気付いていないのなら…。
それは不幸なことだな、と思った。(次回に続く)