

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-03-01 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
吹雪の中の標高5800mの世界は限りなく死に近い場所だった。
生き物達の躍動感が全くなく、そこにいるだけで怖さを感じる場所。氷河が目の前でアイスクリームを溶かしたようにべったりとのび、時々雪崩の音が耳をかすめる。

旅の仲間は、現地の荷物運びを手伝ってくれるスタッフも入れると総勢12名の大所帯。
現地人スタッフの自然に対する知恵は、私達のそれを遙かに越えている。
すべてが灰色の世界は、ただそこにいるだけでとてつもない恐怖感を感じさせ、遠くでかすかに見える稲光がまたそれを倍増させる。50cm先が見えない恐怖は、底なし沼のように深い。
足下は不安定な岩、岩、岩。滑ったら間違いなく足を折る。精神的にくたくたになり、ヒトはなんて無力なんだろうと、つくづく思い知らされた。
けれど。一度晴れ上がると、澄み切った青空と荒々しい山だけがある世界は、自分の心にまとわりついた垢のようなものの一切をすべて、洗い流してくれるようなストイックさに満ちていた。
ヒトはもともと、車などなくても、ブロイラーを生産しなくても、生きていける能力を持っていた。ヒマラヤのトレッキングで学んだのは、どんなに越えられないと思う山があっても、気力があれば必ず越えられること、そしてそれをしていくことで初めて、自分の中に備わったいろんな能力が開花するということだった。
私という便利に慣れきった人間が、ヒマラヤの旅を共にした現地人スタッフから学んだことは多かった。
彼らの中には、氷点下の世界を裸足で過ごしている人もいる。靴を買うほどの余裕がないとという冷めた見方も事実かもしれないが、裏を返せば人はそれだけ逞しく生きられる能力を持っているということ。
私の足の指なんて、動かそうと思っても微動だにしないけれど、彼らの足の指は130度の扇状に開く。そして指は鳥が止まり木にとまっている時のように、円を描いて曲がっている。
そして実に臭い。といっても、否定的な意味で言っているのではなく、機能的に優れ新陳代謝で、足が足としての役割を果たしている彼らの足だからこそ、靴という時代の産物に閉じこめたら匂いがこもってしまったというだけのこと。ヒマラヤという過酷な環境を、時には数週間、時には何ヶ月も歩き回れる彼らは、過酷な環境を生き抜くに値する能力を自ら開拓してきたのだ。
サバイバルゲームのような15日間の旅の中で、二日間水がなかった時があった。
自然は全く予想不可能。現地のガイド氏がここ数年ずっと頼りにしていた湧き水が、この時なぜか枯れていた。
一日目はまだ我慢できた。が、二日目さらに数十キロ歩いた場所にも水がないとわかった時、タダでさえ疲れ切った体に一滴をも水分を補給できないと知って、私はパニックに陥ってしまった。
が、彼らはそんな私を見て大笑いした。「ここになければ探せばいいじゃないか」
これがダメでもあれがある、あれがダメならこれがあるという発想がどうも苦手なニッポン人の私としては、「ここにないものはない!」とむくれてしまった。
それから彼らは、バケツを持ってキャンプ地からさらに約1時間歩き、岩肌にくっついた僅かな雪をかき集めてきた。一日12時間登り下りを続けた後、しかも凍え死にしそうな寒さの中で、往復二時間かけてコップ一杯の水を探しに出、それを持って笑顔で帰ってくる彼ら。その強さにつくづく舌を巻いた。
作ってくれたお茶には灌木のカスみたいなものから、岩のかけらまでいろんなものが入っていた。
これまでの人生で、この時ほど、お茶が美味しいと思ったことはなかった。(次回に続く)