ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-02-22 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
それでも頑張る。それでも歩く。ひたすら前だけを見て足を進める。なぜなら、ヒマラヤは一度山中に入ったが最後、自分で歩いてこなければ他の選択肢はないからだ。
顔では笑っているけれど…4000mを越えると20歩歩くと
休憩したくなるほどに空気が薄い。
朝はスコーンと晴れた青空、午後からは強風、
夜になるとぞっとするほど透明感のある月が顔を出す。
そりゃ考えてみれば当たり前。日本では道路がないところを探す方が難しいかもしれないけれど、地球規模で考えればどこへ行くにも車道が通っているところの方が実は稀。ネパールの場合は切り立った山に車道を通すことなど到底不可能に近いので、山から山へは平均台程度の太さの獣道でつながれているだけ。それも標高4000mほどの森林限界を超すと、道に土がなくなり、尖った岩やゴツゴツの斜めに切れた岩だけになってくるので、歩きにくく、歩行に全集中力を傾けねばならない。私は下り道、土がある高度に戻ってきた時、その足裏のやわらかい触感に感激し、土にむかって「ありがとう」を連呼してしまったくらいだった。
自分の足を車輪に見立てて移動すること以外、そのほかの車やらヘリコプターなどは一切ない世界。
一日15時間、日中でも氷点下10度という気温の中で、とにかく歩いて前だけを目指す世界。
疲れることはイヤ、面倒なこともなるべく避けたく、楽しいことだけをしていたいはずの私が、そこへ行ってどうなったか。以下のような結果が出た。
まず。恨み辛みばっかりが口をついて出た。苦しさに涙がこぼれ落ち、鼻水が水道水のように垂れてきても、涙が目尻で凍っても、それを拭く気力さえなくなった。
ナンデ、コンナコト、シテルンダ?? それをネパール人のスタッフに尋ねると、彼らの方がこう質問してきた。
ナンデ、ガイジンハ、コンナタイヘンナコト、ヤリニクルンダ?
普段から、街から実家に帰るのに「バス停を降りてから5日かかる」という彼らにとっては、わざわざ遠方からはるばるその難行苦行をしにトレッキングにやってくるガイジンが、奇妙に見えて仕方ないらしい。
答えがあるとすれば、あまりにも豊かな世界で培われた自分の価値観を、崩してみたかったってとこだろうか。
それを伝えようとしたけれど、やっぱりうまく通じなかった。
それでも最初の三日目くらいまでは良かった。美しい自然を前に足が自然に動いていたのだ。ところが問題はそれ以降。一日の起きている時間のほとんどを「歩く」作業に費やすという体験をしてこなかった私の足は、動くことを拒否してしまったのだ。
「コマッタ」ところで、頭の中にパチンコ屋さんで使われているような威勢のいい音楽をかけた。すると不思議と足は自然に活動を再開した。
一個の峠が見える。そこを目標にする。そしてそれを越えるとまた峠。
「またかあ…」とため息をつきながら新しく現れた峠を目指す。もう峠はないだろうと思いきや、遙か彼方にまた峠。目をしばたかせながら、「いい加減にしてくれ」と思いながら、でも後ろに道はないので、前に進む。もうここまでやったのだから、まさかもう峠は…と思っていると、また峠。気力はゼロに近いのに、それに負けたらヒマラヤに骨を埋めるしかない。それはいやだ。だから歩く。
なんだか人生に似ていた。
野営はここと現地人ガイドに言われた場所は積雪20cm。雪をどけ、テントを張り、喉を潤そうと思って水筒に手を伸ばすとカキンカキンに凍っている。今度は火を起こして溶かす。
あらゆるものに抵抗し、なんとかしようともがき、そしてやっと見つかる解決策。
苦しくて仕方がないのに、一日を精一杯生きているという実感があるのが本当に不思議だった。(次回に続く)