

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-02-15 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
これまで大陸横断バスが走った国は、ユーラシア大陸9ヵ国、アフリカ大陸14ヵ国。
その中には酷暑の砂漠地帯もあれば、極寒の山岳地帯もあった。どんなにメディアが発達して、その様子が本やテレビで疑似体験できたとしても、実際に自分の身に起きる現象は想像を超えている。
ヒマラヤでの経験もその一つだった。

森林限界を超えた高度にある場所は、「生」の匂いが全くない。
あるのは荒々しい岩と、空気と、空だけ。
怖いくらいの静寂だけが辺りを支配している。
ある時、とある元・登山家に「ハイキングへ行こう」と誘われて始まったヒマラヤトレッキング。
山の難易度が「さんぽ」「ハイキング」「トレッキング」「登山」の四段階に分かれるとすれば、ネパールの山歩きはその三段階め。重装備や特別な技術がなくても健康な足さえあればできるトレッキングは、観光客の人気も高い。
山とはとんと縁がなかった私だが、ハイキング程度で素敵なヒマラヤの星空が見られるのならとお誘いに乗っかった。
期間は15日。走行距離ならぬ歩行距離約300km。最高地点5800m。想定される気温は氷点下30度。
ハイキングで5800mという感覚はちょっとよくわからないけれど、面白そうだわ。やってみよ。
それがまさか、鼻水が凍るような場所に足を踏み入れることになろうとは思っていなかった。
凍ったのは鼻水だけではない。吐いた息がテントの中で結晶になってダイヤモンドダスト現象を作り、空気が凍りチカチカ光っている。さらにそれが朝起きると頭のてっぺんにくっつき、髪に霜が降りているのだ。
そんなことはガイドブックに書いていない。私はびっくりして、身の回りに起きている現象を一生懸命観察した。
まず。マイナス30度では、手を手袋から出して5秒立つと全く感覚がなくなり、動かなくなり、指の先から青くなってくることがわかった。だから凍傷にかからないように、手を口の前でフウフウしなければならない。
そしてずっと歩き続けていると、外気の低さと体温の高さのギャップで、鼻水が止まらなくなる。でも歩くのに精一杯で吸うのを忘れていると、唇の上あたりでシャリッとシャーベット状になってしまうのだ。
これはすごいと思い、慌ててリュックの中から小さな鏡を取りだして自分を見た。
そしたら。あまりの乾燥状態に顔がシワだらけになっていて、そのシワが深く深く渓谷のようになっていて、まるで象皮をまとったようになっていた。そこで顔をきゅっと歪めてみた。シワはさらに深くなり、元に戻らない。もともとそういう環境に生まれ育った人が、日本人が朝起きるとまず歯をみがくように、朝起きるとまず顔にバターを塗り込む理由が良くわかった。
こんなすごい思いを、登山家の人達はいつもしていたんだなあと思ったら、全く頭が下がった。
と同時に、そんな環境でも生活をする現地の人の逞しさと凄さを思い知った。
また足を一歩づつ前に出す。出しても出しても登り道は終わらない。
一歩足を滑らせれば、約1mはある岩の割れ目に足を取られる。その溝にはまったが最後、あっけなく骨折をするという恐怖。そしてもし骨折でもしてしまえば、助けを呼びにいくのに急いで三日、遅ければ数日、怖くて足が一歩も前に出なくなった。
そういう時が余計にアブナイ。怖じ気づいた気持ちがあると、怪我を呼ぶ。
震えた足を出したら、鋭い岩の角に弁慶の泣き所を思い切りぶつけた。痛いという恐怖感を持ったまま、さらに無理矢理足をもう一歩前に出したら、岩場ですっころび、ズボンが簡単に破けた。傷口がまた、凍った。
なんとなく涙が出た。でも拭く元気もなく放っておいたら、ほっぺたの上で涙までがシャリシャリいっていた。
そして。何百mか一気に上った日、体力に限界がきていたのか高山病にかかり、ほんの少し嘔吐した。そしたらそれも凍ってしまったのだ。
もうにっちもさっちもいかない状況。自分の限界を知り、弱さを知り、それを直視しなければならない環境。
生まれて初めて知った、臨界点の自分だった。(次回に続く)