

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-02-01 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
「どっから来たの?」「オーストリアから」
「陸路で?」「もちろん」「国境を全部越えて?」「そうだよ」「・・・・」
路頭に迷ってヒッチハイクをした私を拾ってくれた氏の名前はステファン。ヨーロッパで払い下げになった中古の市バスを、ネパールに売りにきたカーディーラーだった。

イランの国境に入ったばかりの大陸横断バス。
イスラム教シーア派に属するお国では、旅行者であっても
女性は髪や体の線をきちんと覆って入国するのが掟なのだ。
しかし。なんていうスケールなんだろう。彼は「オーストリアからネパールまで出勤してきてるだけだよ」と宣った。
そこにある未知の世界。ネパールからインド、パキスタン、そしてイランを越えて文明の交差点、トルコへ。そこから北上しブルガリア、ルーマニア、古き良きヨーロッパ的世界を抜ければ、ハンガリー。そして最後に辿り着くのがオーストリア。ユーラシアの東に走る道はずっと西まで続いている。それをたった55日で「ドライブ」してきたのだ、と。
大学のハンググライダーサークルに入っていた私は、先輩達がごく日常的にやれ長野だ、新潟だと腰も軽く出かけていく姿勢にオトナの世界を感じ、えらく自分の視野が広がったように感じていたというのに、世の中にはもっともっとデッカイ感覚で世界を駆け巡っている人がいたなんて。私はすっかり驚愕してしまった。
ステファン氏に出会ったのは、大学四年生に復学しようとしていた矢先のこと。
就職が目前に迫り、悩みは深くなる一方だった時に、なんだかステファン氏の存在自体が私の「オシゴト感」に一石を投じてくれたような感じだった。
当時はバブルが弾けた直後。自分の人生を会社に捧げても、会社は自分の人生に責任を持ってくれないよということを、社会が証明し始めていた時だった。たれ込める暗雲に比例して、私の焦りは大きくなる一方。そんな時に私の「オシゴト感」に一石を投じ、遠い道のりの先に明るい光を見いだした気分にさせてくれたのが、ステファン氏だった。
「あの、私がいつか自分もそういう旅(大陸横断の旅)をしたいなと思ったら、手伝ってくれますか?」
「もちろん、いつでも電話をもらえれば!」
本音を言えば、就職したくなかった。なぜって自分の人生がガチガチに固められてしまう気がしたから。旅を続けるか、どこかの途上国のNGOで働くか、もしくは自分で何かがしたかった。
そんな迷いが、ステファン氏の一言で吹っ切れた。
新卒という身分は人生で一度きり。仕事をやめるという選択はいつでもできるけれど、新卒で就職できる機会はたった一度しかない。だったらちゃんと働いてみよう。
会社がどうの、仕事がどうのととやかく言うのは、まず自分がそれをやってからだ。
自分で自分の仕事を組み立てているステファン氏の存在に勇気づけられながら、大学に復学。厳しい就職戦線にことごとく失敗したものの、とある会社に拾って頂いた。いつのまにかOLをやっている自分がいた。
言うは易し、行うは難し。会社で学んだことは本当に多かった。就職という道から逸れなくて良かったと思った。
毎日が猛烈な早さで過ぎていく。お天道様を全く拝めない日が週に五日。辛い辛いと思いながらやったことが、後でフリーランスになる時の礎になってくれるとは、この時は思いもしなかったことだった。
プロの精神を教えられ、仕事をひたすらこなしながらも、いずれステファン氏に協力してもらって大陸横断バスをやってみたいという夢は捨てていなかった。
社会人1年目のある日。社長にお会いする機会があった。口が滑ってつい自分の夢を語ってしまった。
すると社長は・・・。「若いうちにぜひやりなさい。なんでもやってみなさい」。
私はいまだにこの社長を尊敬している。入ったばかりの社員に多大なる教育費を投資しているのに、近いうちに辞めるかもしれないというニュアンスを含んでで熱く語る社員に「応援するよ」と背中を叩いたのだから。
というより、社長の方が私の話を面白がってくれてしまった。
もし仕事がノッてくれば、私の夢なんていずれ萎えるかもと思っていたというのに、社長にまで後ろから押されてはもう後に引けない。自分でもできるかどうか全く見えていない計画を、やらねばならなくなってしまった・・・。
ステファン氏に国際電話をした。「あの・・・私、ユーラシア大陸を横断したいんですけど・・・」。
心のどこかに「できないって言ってくれれば・・・」という気持ちもあったというのに、ステファン氏は言った。
「よし。じゃ、由紀には人を集めてもらって、4ヶ月後にやるぞ」
いよいよ後に引けない。一瞬でも後ろを向いたら怖くてできない。だから前を見続けるしかなかった。
それから。とんでもない悪戦苦闘が始まった。 (次回に続く)