

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2002-01-25 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
カトマンズはまさに文化のサラダボール。他民族が隣にいることが当たり前な社会には、旅行者も世界中から集まってきていた。一通りネパール語を習得した私は、現地人の下宿先を出て、欧米人が集まっている一軒家にねぐらを変えた。

欧米人の大陸感覚はスケールが大きい。
軍のトラックや市バスの払い下げになったベンツを自分好みのキャンピングカーに改造し、
世界を股にかけ、旅をするのだ。
主張することを恥とする文化に育った私と、主張することこそ美徳という文化に育った彼ら。顔をのぞきこまれて、「ニッポンジン、ヤッパリ、ヨクワカラナイネー」と言われてしまった。ネパールへやってきて、現地の文化に驚きと発見の連続だったところへもってきて、さらにそこに居座る欧米文化からのノックアウト。ネパール語の辞書を英語の辞書に変え、毎日汗を流しながら「ワノセイシン」やら「ケンジョウノビトク」やらを説明した。
「ハラキリ、ダメネー。ソレハ、マケ、ネー」を連発する彼らに、腹切りは己のプライドを賭けた精神的勝ちなのだという説明を終える頃には喉はカラカラ、お腹はペコペコ。そこで彼らが焼く肉の塊をほおばり、代わりに私はみそスープを提供し、絶賛を得た。
最果ての西の地からネパールにやってきた彼らは凄かった。陸地が続いている限り、海に落ちる寸前まで自家用車で突き進む。フランスからネパールまで、休暇を使って11ヵ国をドライブしてきましたとごく平然と宣う家族連れには、目が点になった。
時を重ねて、私は将来の自分の仕事について、思案していた時。ホーストというドイツ人が言った。
どの会社に入るかじゃなくて、どういう仕事を自分がしたいか、そしてできるのかを考え抜くことがまず大切だよ。ニッポンでは少数派かもしれないけど、欧米ではフリーランスって働き方はかなり一般的なんだよ。
フリーターとフリーランスの違いは、専門分野を持っているかどうかの違いだと教えてくれたのも、彼らだった。専門の仕事を持つ。会社に頼り切らない。自分の人生を自分で設計する。彼らは個が完全に自立していた。
ネパールに来て数ヶ月あまり。ニッポンという場所の文化を背負った自分と、来て覗いたヒマラヤ文化、そして西の文化を運んできた彼ら。とんでもなく違うものがある一方で、とんでもなく一緒のものも発見だった。
ネパール人のシュレスタはノホホンと暮らしているように見えながら、いつも奥さんに稼ぎが悪いと叱られていたし、イギリス人のアンは本国の彼氏から電話が入るたびに小躍りしていた。
みんな、いつも関心事は「食う」「寝る」「眠る」。
私も、ネパールの文化を勉強するために留学なぞと立派な大儀を表明しながら、やってたのは美味しいものを発見して喜び、カッコイイ人を見つけてちょっと嬉しくなり、夜は子供のようにぐっすり眠ること。
ニンゲンって複雑だけど、意外と単純かもなと思った瞬間、肩の力が抜けてしまった。
そしたらなんだか壁がポロッと取れて、地球上をどこへでも行けるような気がしてきた。国境を越えたい。
そして二ヶ月後。山羊がメエメエ、鶏が足下をうろつくローカルバスに乗って、陸路インドへ出国した。
いくつかの出会いの中でまた、ヨーロッパからアジアへ車を転がす輩に何人にも出会った。
私もいつか、大陸を東から西へ、車で走り抜けてみたいなあ・・・。
縁というのは不思議なものだ。そう強く思っていると、神様はそういう縁を目の前に置いてくれるものらしい。
ネパールへ帰る途中、乗っていたバスがエンコした。現地人乗客は抗議するわけでもなく、バスを降りて黙々と山の中を歩き始めた。歩き慣れしていないひ弱な私は一人で憤慨し、道路脇でへなへなと座り込んでしまった。
そこに現れたのが一台の四駆。中から一人のオーストリア人が降りてきた。
「大変だな。乗ってくかい?」
すでに足は棒。何かまずいことが起きたら・・・リュックにあるフォークで戦う、か。よし乗っちゃえ。
そのドライバー氏がまさか、ここから先私の仕事上の基盤作りに協力してくれることになろうとは。
縁の不思議さを今、私はつくづく痛感している。(次回に続く)