

ネパール留学中、大陸をまたぐ"国際路線バス"を企画立案。1994年『ユーラシア大陸横断バス』、1998年『アフリカ大陸縦断トラック』を実現。2002年には『南米大陸縦断バス』を実現予定。
2010-03-05 号
白川 由紀(紀行フォトエッセイスト)
先日、カフェに突然Tちゃんが現れた。
「実はわたし……仕事やめちゃったんです(苦笑)」
彼女が就職する直前、3年以上前に会ったっきりになっていたTちゃんは、ちょっぴりふくよかになっていた。
聞けば、「仕事のストレスで食べちゃったの(笑)」と。
そんなに辛かったのか、よっぽど耐えに耐えたのかなあと顔を覗き込んで黙っていたら、Tちゃんは堰を切ったように話しだした。
「何が辛かったって……塾生と自由に喋ることも許されていなかったこと。
もちろん喋ってもいいんだけど、喋る時には必ずその生徒さんにどういう交友関係があるのかを聞き出し、彼らが塾に行っているか行っていないか探りを入れ、もし行っていなければ自分の塾に入ってもらうよう、話をうまく持っていくってことを強制されたことかなあ……」
なんだか聞いているこっちの方がちょっと辛くなってしまった。
(……そっかあ……それが彼女の“シゴト”だったのかあ……)
英語の先生になりたかったというTちゃんは、結構な大手チェーンの私塾に、講師として就職した。
「給料はいくらくらいだったの?」
「……手取りで16万」
「何時間くらい働いていたの?」
「夏期講習なんかがある時は、朝7時くらいから夜中の2時くらいまで。それから家に帰って夕飯だから、体調もおかしくなっちゃった」
「……」
あたしも、ジンセイのある時期、ゴハンを食べてトイレへ行ってお風呂に入っている時以外はずっとシゴトのことばかりを考えていた時もなくはなかったけれど、でも眠る時間がほとんどない日が続くってことはなかった。
「朝からずっと、塾に入りませんかっていう営業の電話をかけたりね。多い日は一日に100本」
「生徒さんも一人もやめさせちゃまずいから、その目的のためにとにかく保護者の人に電話をかけて親切にしてつなぎとめるの」
「上司も完全に、塾生をお金のかたまりにしか見ていなかったし」
「もう本当にダメだなって思ったのはね……。自分がいかにも親切なフリをしてやっていることの目的はすべて営業のためだったからね、だから逆に自分がどこかのお店に入って店員さんに声をかけられてもいつも、『ああこれもきっとマニュアルに書いてあるんだ』とか『きっと私のことも金づるにしか見えていないんだ』と思ってしまう自分がいて、周りのいろんなことが信じられなくなっちゃったんだよね」
大変なところにいたんだなあ、頑張ったんだなあと思いながら、なんだかとってもTちゃんの背中をさすってあげたくなるような心境に駆られた。
仕事をしながら『希望はどこにも見えなくなっていた』と言ってたけれど……。「せめて真っ暗闇の中に放り出される前に、その世界を抜け出して良かったよ。うん、本当に良かったよ!」
Tちゃんに精一杯言えたのが、その一言だった。
“シゴト”ってなんなんだろうなあ……。
って、たまによく考える。するとぼんやりとこんな文字が見える。
答え:自分の生活を成立させてくれるもの。
それをもっと解析してみると。
相手ができなくて、こちらができることを、お金という道具を介在させてやってあげる、いややらせて頂く有償ボランティア。
言い方を変えれば。
相手に喜んで頂けることをやって、その代価としてお金を頂き、自分の生活を支えてもらうこと。
それでいくと、シゴトの方程式はこうなる。
【シゴト=ヒトに喜んでもらう×自分の生活を支えてもらう】
そう、これがきっと、原理原則。
だけれど。
モノが売れなくなったり、世の中にお金がまわらなくなったり、社会が豊かになりすぎて需要が少なくなったりすると、その原理原則がずれて奇妙な方向に方程式が歪む。
それが、
【シゴト=ヒトをこちらの都合のいいように言いくるめる×自分の生活を支えてもらう】
という方程式。
そう、Tちゃんが勤めていた塾のように、本来の需要はないのに、無理矢理マーケットに分け入って、そういうつもりにさせちゃって供給をする、みたいな。
なんだか最近やたらとそっちの方の話が多いような気がするのだけれど、これは気のせいかしら。
お金を払う側も、本当は特に欲しいわけでもないのに、いつのまにか猛烈な営業攻勢に乗せられて、要らないものを買ってしまっている、みたいな。
そこまでいくと、買うモノの実体の質はどうでもよくって、営業の力だけがモノの売れる売れないを左右しているという構造になってくる。
これって、なにかがずれてしまっているって感じる。
もしかしたら。
「シゴトなんてそういうもんだよ」って言う人もいるかもしれない。
「みんなそうやって生活をたてているんだよ」って言う人もいるかもしれない。
だけど。
この方程式はどうも歪みが激し過ぎて、どうもただじゃ済まされない気がしてしまうのだ。
もしかしたら不況ってのは、そんな歪んだ経済構造を是正する自然現象なのかもしれないし。
こっちも、本来の意味での自分にとってのシゴトとはなんだったのかって考えられる、そんなチャンスを与えられているのかもしれないし、なあ……。
「捨てる神あれば、拾う神ありだよ。これは絶対にそう」
いろいろ考えた挙げ句、Tちゃんにそう言った。
「そうだよ、ヒトはそんな穿った世界にばかりに生きてるわけじゃないから!」
語気を強めて、そう言った。
「まあそこまでの管理体制の中でシゴトをするには、手取り16万はきつかったねえ、30万だったらしょうがないとも思えたかもしれないけどねえ……」
そんな現場にたまたま同席していた、就職活動中の大学生のFくんが、ぽろりとこんなことを言った。
「ゼミの先輩でいますよ。外資系の銀行に入って強烈な営業の鬼と化して、30歳までに3億円稼ぐ人。けど必ず途中で、ウツ病で入院するっておまけつきですけどね(苦笑)」
うーん、究極の選択。
つい、自分だったらどうするかなと考えた。
A:年収1000万もらって、ヒトをこちらの都合のいいように言いくるめまくる(笑)シゴトと。
B:年収300万で、ヒトに心から喜んでもらえるシゴトと。
少なくとも一つわかっているのは、ヒトが心から喜んでくれる顔は、あたしをめちゃめちゃシアワセな気分にしてくれるってこと。
もし、シゴトでなにか迷うことがあったら。
『自分がしている“シゴト”で誰かが喜んでくれているかどうかを確かめよう』
そう、そこさえ間違わなければ、必ず自分の生活は、その喜んで下さる人たちが、ささやかでも支えてくれるはず。
原理原則によれば、ね。
いっぱい食べて、いっぱい喋って、Tちゃんはちょっぴり元気になったように見えた。
本当にこの世界は、捨てる神もいるけれど、必ず拾う神だっているんだ。
これは単なる出会いの問題だから、だからきっと、どこかにTちゃんがもうちょっとまっすぐでいられる職場があるはず。
「だからね、しばらく休んだら、またそれを探しに行けばいいじゃん!」
駅のホームを静かに立ち去ったTちゃんの背中には、学生だった3年前よりもちょっぴりオトナの世界を知った重みが漂っていた。