2002-03-27 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
偉人と呼ばれる人たちの功績は、ウラを返せば「奇人変人たちの遺した足跡」だ。
たとえば日本で初めて大漢和辞典を編纂した諸橋轍次。52万以上の言葉を収めた恐るべきこの辞典の編纂者ゆえ、さぞ記憶力が人並みはずれたスーパーコンピューターにも勝る頭脳の持ち主だったに違いない。

と、思いきやこのヒト、物忘れが人並みはずれていたという。出かければ、必ず帽子や傘をなくしてくる。どっかで下駄をなくし、裸足で帰ってきたこともあるとか。そうかと思えば他人の羽織りを間違えて着て戻ってくる。隣の家に住む人の顔は、最期まで憶えられなかったという。
数多くの辞書編纂でお馴染み金田一京助氏もまた、そそっかしいので有名な人だった。
大学の教え子の結婚披露宴でスピーチを頼まれた金田一氏、スピーチの文案を練るのに時間がかかってしまい会場に到着するのが遅れた。会場に入ってみると花嫁と花婿の表情がいつもと違う。金田一氏は「人間の顔は化粧でこうも変わるのか」と感心ながらテーブルの料理をすべてたいらげた。そして自分のスピーチの番が来て、金田一氏の顔が真っ赤に。もう、お気付きだろう。会場を間違えていたのだ。そして式場に勤める人に「○○くんの披露宴はどこ?」と訊いたところ「その方なら昨日おわりました」。
会場どころか日時も間違えていたのである。
どちらも、お人柄がしのばれるなんとも愛らしいエピソードだが、これはまた一芸に秀でた人たちは、見事にどこか欠落してバランスを取っている、ということでもある。マイウエイを突き進む人たちは、それ以外の部分など他人にどう思われようと構わない、赤ちゃんのようにピュアな部分があるのだ。
反対に、言文一致ならぬ「素行文一致」とも言うべき、私生活が、欠落どころか「過剰」に文体を上回る人たちもいる。泉鏡花がそれだ。
自然主義文学に対し、潔癖なまでに夢想世界を貫いた泉鏡花は、私生活もチョー潔癖症だった。赤痢にかかったことがある泉鏡花は、異常にバイ菌を恐れていた。外気やハエやネズミが触れぬよう、食器類はすべてタンスにしまいこんでいた。出先でも、お茶請けに出されたお菓子は一度アルコールランプで炙ってから食べた(アルコールランプを持ち歩いてたのだ! さらに旅先には旅館で出された食事をもう一度煮るための鍋を持参したという)。アンパンは表面すべてを火で炙ってしか食べず、また食べる時は指でつまんだ部分だけは捨て続けた。日本酒もグラグラ煮えたぎったものしか飲まず、それは“泉燗”と呼ばれた。そんなだから原稿用紙にハエなど止まろうものなら、えらいこと! 追い払ったあと机を塩で清め、原稿用紙を清めの水で消毒した。
まぁ、近くにこんな人がいたら、たとえ日本文学の大家であろうと、うっとうしくてしょうがないわけだが、ワクにはまった生き方をしていて、良い作品が生まれるだろうか。超人は“人を超える”から超人なのだ。
『すごいけど変な人』は、そんな偉人たちのもうひとつの側面を追った本。
名探偵シャーロック・ホームズの物語を書きながら、本人はオカルトに傾倒し、有名な「ニセ妖精写真」のトリックを見抜けなかったコナン・ドイル。3つのペンネームを使い分けてモノスゴイ量の連載を持ち、ひとりで朝夕刊の新聞連載を同時にふたつもやっていた長谷川海太郎(ちなみに原稿料で念願の豪邸を建てた途端に35歳の若さで過労死)。刑務所を4度脱獄し、そのたびなぜか自首していた生涯イリューション男、白鳥由栄。史上最低の映画、及び映画監督に選ばれ、それゆえ世界中に熱狂的なファンを持つエド・ウッド、などなどの豪快な13人の「人間ばなれ」エピソードの数々。
僕はこの本を、「よくワタシって友達から『変わってるね〜』って言われるんです〜」と“変人自慢”する人に読ませたい。あんたなんか、この人たちに較べればフツーだよ。