2002-03-13 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
テレビや映画の時代劇の魅力は、なんといっても殺陣(たて)だ。
スター俳優が演じる正義の味方と、刃を向ける悪の手先たち。四周を悪党に囲まれ、正義の味方、大ピンチ。お互いがジリジリと間合いを測る。緊張の糸が張りつめる。そして遂に悪党のひとりが主役に斬りかかった! カキーン! 刃と刃が火花をあげてぶつかりあう。そこからは様式の美学、序破急の美学、チャンバラの美学、大立ち回りのはじまりだ。チャリンチャリン、ズバッ、ドスッ、うわーっ、バタン、悪党どもはリズミカルなまでに正義の味方に一閃され、のけぞり、エビぞりながらカメラ前からフレームアウト。そこへ、とらわれし町娘が駆け寄る。「そなた無事であったか」「はい、お侍様も御無事で」「心配御無用!」。観客は拍手喝采。ワンパターンといえばそれまでだが、これ以上なにも足すことも削ることもできないまでにシャープに研ぎ澄まされた、表現の完成型だ。

主役のスターを最大級にカッコよく魅するハイライトシーンに、なくてはならない殺陣。この見せ場は「殺される側」がうまくないと成立しない。斬られる側がモタモタしていたり、刃物も当たっていないのにひっくり返ったりしていては、主役もろとも白々しくマのヌケたものに見えてしまう。善と悪との意思の疎通が必要だ。なんだかおかしな話だが、善と悪とのチームプレイというか、呼吸がピッタリきていないと時代劇は成り立たない。そして時代劇には「斬られ役」という専門の役者さんがおり、そしてその世界には、巷にはまったく名前が知られていない名優がいる。
福本清三、59歳。中学校卒業後に東映京都撮影所に入り、以降44年間、東映大部屋俳優一筋。暴れん坊将軍に、水戸黄門の助さん角さんに、遠山の金さんに、旗本退屈男に、人形左七に、桃太郎侍に、怪傑黒頭巾にと、名だたる時代劇スターに斬られに斬られて44年。『三匹が斬る!』シリーズなんて2回に1回出演しては殺されているので番組レギュラーと呼んで差し支えない。
時代劇はもちろんのこと、任侠映画、ヤクザ映画、アクション映画、現代劇、舞台、テレビドラマでも生きたままエンディングを迎えることは、ありえない。斬られ、殺されること概算2万回! なのに出演者一覧に名前が上がることは稀で、すなわち代表作「なし」! 必ず殺されるプロフェッショナルであり「必殺仕事人」とは、まさに福本さんのことである。そして福本さんは自分の肩書きを「会社員」と書く。東映の専属で、月給制であり、自分はあくまで主役を照らすライトのような役割だという考え方からそう書くのだ。福本さんは日本でも(いや世界でも)珍しい、死ぬことを生業とする会社員なのである。
そんな福本さんが、このたび本をお出しになった。『どこかで誰かが見ていてくれる』は日本の映画史、テレビ時代劇史を「斬られ役」の目から愛情たっぷりに語ったもの。死体となって、じっとしたまま薄目を明けて観続けた撮影所の風景は、従来の映画本とはまた違った味わいがある。
斬られて堀に落ちたものの、あまりの水の冷たさにふるえが止まらず、振動で水面に波が打ってしまいNGになったり、旗本退屈男を演じる市川右太衛門さんが、あまりにスターの輝きを放っていて全身が硬直し斬り込めなくなったり。近衛十四郎さん(松方弘樹のお父さん)の立ち回りがあまりにうまくて斬られながら感動したり、反面、大友柳太郎さんは本番になると興奮して、打ち合わせなどどこへやら、滅多やたらに斬ってかかられるのでミミズバレが絶えなかったりと、邦画ファンには垂涎のコタエラレないエピソードが続々(この本には書かれていないが大友柳太郎さんは本番になると興奮してワケがわからなくなるので有名で、隻眼片腕の丹下左膳役なのに、しょっちゅう両目を見開いて両腕を振って走っていたそうだ)。
ほかにも美空ひばりさん一家とのふれあいや、大部屋の朋友、故・川谷拓三さんとの想い出、テレビ時代劇で首をはねられ、それを観ていた我が子が「パパが死んじゃった」と泣き出した話、斜陽化してゆく時代劇の行く末などを、この本は淡々と、そして滋味たっぷりに語ってゆく。その語り口がやさしくて、ついホロリとしてしまう(福本さんがドギツいメイクをするのは、素顔がやさしくて悪役に見えないからなのだ)。
福本さんは来年で定年退職となる。フィルムからビデオ撮影に代わり、時代劇も大きな転換期を迎えている。もしかしたら、時代劇は今後なくなってしまうかもしれない。でも、全国の「どこかで見ていた誰か」たちは福本さんを忘れはしないでしょう。決して目立たず、それでいて、なくてはならない男。そんな生き方もあることを。