2002-03-06 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
先日、取材で下北沢のあるアンティークショップを訪れた。
この店は「和風」がウリで、日常生活から消えてしまった明治時代以降の家具、生活用品、台所用品、雑貨、おもちゃなどを多数取り揃えている。下北沢みたいな若者が集う街でこういう店が成り立つということは、いまなお(いや、いまだからこそ)部屋を和風で統一したいと考える人が多いということだろう。そういえば不動産屋さんに「最近ではフローリングより畳の部屋の方が人気がある」と聞いたことがある。すだれのかかった窓、壁には振り子時計、お膳の上にはi−Mac、確かにちょっとイイかもしれない。

店内を見渡す。つくづく、いろんなものが台所や勉強部屋から「消えた」んだぁ、と想う。鰹節箱、鼠いらず(ミニ茶だんす)、そういえば台所には「勝手口」自体がもうないな。そろばんを常備している家もいまや少ないだろう。観光地のペナントを貼ってる勉強部屋も、もう見たことがない。確かに、ありゃ当時からダサかったから仕方ないか。
そして驚いたのが、ちゃぶ台。低! たった5、6寸(15〜18cm)しかない。正座したら膝が台にくっついてしまう。いかに当時の日本人の身長が低かったかが、よくわかる。日本には世界でも珍しい「食事の際はお椀を持ちあげて食べなさい」というマナーがあるが、これは食卓の低さが由因だ。反対にテーブルの食事では食器を持ちあげるのはマナー違反。進駐軍の文化が入ってきて以降、日本の食事作法は混乱し、それが現在もなんら解決を見ないまま引き継がれている。
帰りの電車で、日本の古い生活雑貨を蒐集しているさえきあすかさんの『ガラクタをちゃぶ台にのせて』を読んだ。前書きで、ちゃぶ台の歴史がひもとかれている。僕はさっきちゃぶ台の前に座ったばかりなのもあって、これがとびきり面白かった。ちゃぶ台は単なる庶民生活を支えた懐かしの古民具にはとどまらない、日本人の生活習慣を覆す新発明だった。明治の文明開化によって生まれたレボリューション・テーブルだったのだ!(そんな言葉ないけど)。
ちゃぶ台が生まれる以前、日本は家族が食卓を囲むという習慣は、なかった。銘々膳、箱膳とよばれる小さな小さな食卓で、家長から身分位階の順に並んでご飯を食べた。それが文明開化、大正デモクラシーによりすべての人々が平等となり、家族が向きあって食事できるようになった。ちゃぶ台は丸い。これは実は画期的なこと。どこに座っても「上座」がないのだから。家族が今日一日のできごとを話ながら一緒にご飯を食べる。この微笑ましい光景はちゃぶ台という新発明が生み出したものだったのだ。
さえきさんは、ある日、出先の原っぱにちゃぶ台が捨てられているのを見つけた。脚がしっかりしていて、台も反ってない、なんの問題もない立派なちゃぶ台。運命的なものを感じたさえきさんは、途中何度も何度も休憩しながら遠方にある自宅まで担いで帰ったという。そして「このちゃぶ台の上に似合うものを」と本格的に“消えた庶民生活雑貨”蒐集に乗り出した。
この本は、そんな“ちゃぶ台にフィットするレトログッズ”、つまりガラクタの数々を紹介する本。古い雑貨商の片隅で見つけた庶民生活遺跡とでも呼ぶべきモノたちの、なんと愛らしく、はかなげであることよ。子供の首にぶら下げたであろう迷子札(昔は子供がいなくなると“神隠し”にあったと思って諦めたというからオソロシイ)、洗濯板と洗濯機の中間にあたる「ローラー洗濯器」、アイロンの前身「魔法こて」、眼鏡のつるがバネになってる「ビヨンビヨン眼鏡」、ネクタイをキリリと締められる「ネクタイ更生器」、日の丸の旗の形をした平べったい虫かご(これは戦中でないとアリエナイ驚きの商品だ)、などなど、もう微笑ましいやら、ありがたいやら。じゃぁ、今も使うかと聞かれれば、いやそれはご勘弁な品々が、美麗な写真とかわいいエッセイでズラリ勢ぞろい。さぞ、乗せられるちゃぶ台も、久々の再会に喜んでいるだろう。これらは結果的に時代のアダ花となったけれど、生活用品が電化してゆくなかで充分リリーフの役割を果たした。「世の中を新しいく変えたい」という純粋で高尚な想いがあったのだ。
では、ちゃぶ台はその後、どうなったか。家族の帰宅時間が揃わなくなり、会話することもなくなって再び「銘々膳」の時代に戻った。そしてちゃぶ台は不本意ながらアンティークとなった。これ、どうよ? この本は、ちゃぶ台が発した警笛なのかも。