2002-02-20 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
将来「学校の教師になりたい」っていう人、いるかな。もしいたら、ぜひ頑張って、その夢を実現させてほしい。不景気のどん底に喘ぐ今の日本を救えるのは、僕は有能な学校の教師しかない思っている。
そして、できれば小学校の教師になってほしい。少子化が進み、これから次代を担う子供たちには想像を絶するキビしい重税がのしかかることになるだろう。そんな彼らを叱咤激励し、明日に希望を持たせることができるのは、小学校の教師しかいない。中学高校ではカリキュラムが詰まりすぎていて、余裕もないはず(それ以前に、中学高校にもなると生徒たちは自分で気付くべきで、本来、教師たちに責任転嫁することはおかしいのだ)。成人式で暴れる若者が問題になっていたが、あれは幼い頃に自分が大人になった時の姿を想像する力を培ってやれなかった証拠。小学生なら、まだ間に合う。日本だけでなく世界に目を向ければ、まだまだ活路があることをぜひ教えてあげてほしい。
そのためには時に厳しい指導が必要だ。いまの親の世代はバブル景気を経験しているので、自分たちがそうされたように子供たちを甘やかして育てているだろう。親に代わって、心を鬼にしなければならないときもあるだろう。

小学校教育は揺れている。「日本はこれからどんどん世界から取り残されるだろう。英語の能力が低過ぎる。ひいてはそれが外交力の弱さにつながる。小学校から英語の授業を導入すべし」「いや、英語の能力より理系の弱さこそ問題だ。IT先進国となったインドでは小学校から141×141まで暗記させる。ところが日本では今年から算数の指導要領が変わり、円周率は“ほぼ3”。さらに三桁どうしの掛け算も教えないという。これでは基礎脳力が育たない。小学校の算数から徹底指導すべきだろう」。小学校教育をめぐって議論百出だ。外野はいつの世も、勝手なことばかり言うのである。
小学校の教師って、ほんとにたいへんだ。まだ思考の土台がグズグズな人間たちを、しかも家庭環境も、貧富の差も、その家々のしつけもバリエーションに富みすぎた環境の中で、すべての生徒たちに明日への希望を持たせなければいけない。教師の方々はみなよくやってると思う。そして、それぞれの教師が切瑳琢磨紆余曲折右往左往試行錯誤しながら、自分なりの教育方針を編み出してゆく。ここで、不幸が起きる。教師によって、あまりにも指導法の違いがでてくるのだ。そのため教師どうしの争いが生まれてしまうのである。
『漂流教師』は、現代美術作家のパルコキノシタが、かつて小学校の担任だった時代をふりかえり「職員室のタブー」を暴く禁断の教育書。小学校教師が抱えるジレンマが痛いほど伝わってくる。
生徒を恐怖政治的に統治し、学校で禁止されたカードダスを持ってきた生徒の目の前でビリビリに破る教師(その行為を咎めると、あくまで『体罰はしていない』と主張)。行方不明になった生徒の捜索願を「新聞沙汰になってはいけない」と必至で止める教頭。そして不登校児宅を家庭訪問しては母親と激しい教育論を闘わせ、遂にその母親にイケナイ恋心を抱いてしまう自分。教師としての理念と現実とのギャップに「漂流」してしまう自分……。
これらは決して特殊な例ではないだろう。近郊都市の小学校に勤める教師たちの抱える悩み、等身大の姿がここにある。