2002-01-23 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
今さらながらインターネットというやつぁ、スゴい。
どう凄いかを語りだすと来年までこのテーマで終始してしまいそうなので、ここでは僕の生業である「文章」に限定して話してみたい。
僕が高校〜大学生の頃、とかく大人たちから「この頃の若いモンは本を読まなくなった」「読み書きができなくなった」と言われ続けていた。この潮流を以て“亡国論”まで噴出したくらいである。ま、実際ホントに誰も読みも書きもしなかったので仕方ないが。

ところがインターネットが普及してからというもの、世の中どう変わったか。見よ! この膨大な文章を! 名文美文佳文麗文の洪水を! 文体の荒波を! 文字配列に込められた想いのうねりを! デスクトップパソコンに、ノートパソコンに、モバイルに、さらに電話に。電話を持ち歩くことすら一昔前では考えられなかったのに、あの小さな液晶画面の中に恐るべき量の文字が躍っているではないか。かつて「軽薄短小・軽佻浮薄」などと呼ばれ、この世から文章を書いたり読んだりする習慣なんてなくなってしまうんじゃないかと心配したが、杞憂に過ぎなかった。亡国論を唱えていた人々より、よっぽど若い世代の方が遥かに文章に親しんでいる。
こんなにも多くの市井の人々が、メールを書いたり、ホームページを立ち上げたり、掲示板を設置したり、それぞれの想いのたけを文章にして発信しまくってる時代が、これまでにあっただろうか。しかもwebを経由すれば、見ず知らずの人の書いた文章を味わうこともできるし、話をすることもできる。なんてスゴイ、なんて素敵な時代。

インターネットの普及は、何かに似ている。文章を読んだり書いたりすることは、言うなれば人間性の復権を目指す行為。ということは、ギリシア ローマの古代文化を規範とし、14〜16世紀にかけてヨーロッパ全土に広まった文芸復興運動「ルネサンス」にひじょうに近しいのではないか。インターネットは、ルネサンス期の活版印刷機の発明に比肩する文化的大革命だと言って大袈裟ではないだろう。
話の風呂敷を広げすぎて、我ながら「ドえらいこと言ってんなオイ」という気がしてきたので、話題をもう少し身近なものに変えよう。インターネットが普及して、まず僕が驚いたこと。それは「日記を公開する」という習慣ができたことだ。昔は日記といえば親兄弟にも見せない、ひっそりとしたものだった。誰にも見られないように鍵付きの日記帳が売られていたくらいだもの。