2001-12-26 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
冬休みの楽しみといえば、なんといっても映画だ。この冬も話題作が目白押し。本もベストセラーとなっている『ハリー・ポッターと賢者の石』、ディズニーの『アトランティス』、フルCGアニメ『シュレック』、邦画なら『ゴジラ』の新作に『とっとこハム太郎』などなど、どんなに娯楽が多様化しようと、いくつになってもお正月映画のラインナップにはワクワクさせられる。

映画を観る楽しさは劇場の中にだけあるのではない。映画を観終ったあと、電車の中でひとりでパンフレットをじっくり読み直したり、お友達や彼氏彼女と感想を述べあったりする、あの余韻がタマランのだ(僕はそれを映画の残り香、略して“映香”と呼んでいる)。「ダニエル・ラドクリフくん、可愛かったね〜」「キャメロン・ディアスって、やっぱ色っぽいよな〜」「今回のゴシラ、正直どうよ?」などなど余韻を分かち合う、あのホットな時間。映画が少々ツマんなくても、あとの会話が盛り上がれば、けっこう許せたりするもんだ。
で、せっかく映画の話で盛り上がるなら、ついでにこんな話題もいかが? 「映画って、どういう経路をたどって公開されるのかな」。
不思議に思ったこと、ないですか? 毎年毎年何百本もの、世界中の映画が公開されるけど、どういうルートで日本に映画が入ってくるのか僕らはほとんど何も知らないままだ。ハリウッドやディズニーの大作やフランス映画ならなんとなくわかるけど、タイやチェコスロバキアの映画なんていったい誰がどうやって見つけてくるの?
そういえば僕の高校生時代に『グローイング・アップ』っていう、ちょっとHな青春映画が流行った。そういう映画だからてっきりアメリカ産だと思っていたら、なんとイスラエルの映画だった。ストーリーより、そっちに感動した憶えがあるな。いやいや海外だけじゃない。日本だってたくさんの映画が作られているけど、大メジャー会社の東宝ですら、自社制作映画は年に3本程度しかないのだ。
映画が完成するには、まず予算を調達するプロデューサーがいて、監督がいて、俳優がいて、脚本家がいて、現場スタッフがいて、編集をする人がいて、作曲をする人がいて、公開する劇場があって、批評家がいて、そして最後にそれを観るお客さんがいる。門外漢には、それだけしか見えてこない。ところが僕らには見えないところで、制作と同じくらい過酷な映画の現場がある。それが「配給・宣伝」だ。
この『映画突破伝』は評論家であり配給宣伝マンとして名高い江戸木純と叶井俊太郎の対談集。たいへん珍しい「配給・宣伝・興業の側からの映画論」だ。
江戸木氏はかつて、最悪な内容のだるだるホラー映画に『死霊の盆踊り』という面白すぎる邦題をつけてゾンビの如くでヒットさせ、その後、北朝鮮の特撮映画『プルガサリ 伝説の大怪獣』やインドのミュージカル『ムトゥ 踊るマハラジャ』、スウェーデンの子供映画『ロッタちゃん はじめてのおつかい』などなど相当珍しい映画を手がけた。叶井氏も『奇人たちの晩餐会』『ラットマン』などキワモノ視される映画を数々手がけた人。知られざる国の、知られざる映画を掘り起こす「映画墓掘り人」である。
映画の内容も大変なものばかりだが、買いつけ・配給の現場も凄まじい。大ヒットとなった『プルガサリ〜』は、まず北朝鮮の映画を日本で公開すること自体が奇跡に近い。これは監督が亡命し、たまたま日本に渡ってきた1本のダビングビデオのみを手がかりにフィルムを探しだした。『ムトゥ〜』もインド映画など公開した前例のない日本で、たった一館だけが興味を示し公開に踏み切ったことから一大インド映画ブームが巻き起こり、世界公開にまでなった。この夏公開された『クイーン・コング』は、なんと完成から25年も未公開のまま放置されていたのである。江戸木氏はこの映画を、大昔に雑誌で読んだ記事の記憶のみを辿って探しだした。
もちろん、そういう美談ばかりではない。いや労多くしてもヒットの確率は、かなり低い。『アシュラ』という映画を公開した時は、当時ワイドショーで話題だった沢田亜矢子を宣伝部長に起用しながらも、たまたま同じ時期に沢田さんが『明石家マンション物語』がらみで新曲を出し、話題が全部そっちに持っていかれた。そのため常に人ごみでごった返す渋谷で公開されたにも関わらず「動員ゼロ」の回が! その時、渋谷にいた何万もの人の中に誰ひとり興味を持った人がいないのだ。これはこれである意味スゴイ記録である。また『ハンニバル』は、CMを観た視聴者から「神戸の児童連続殺傷事件を想起させる」と抗議があり、公開が大幅に延期された。
映画の内容だけでなく、この本を読んで配給の苦労を想像すると、また一段と面白さが深まってくる。映画の惹句ふうに言うならば「全世界が凍りついた配給現場の衝撃のウラ側。決してひとりでは読まないでください」。