2001-11-14 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
先日、電車の中でたいへん困ったことがあった。僕の前にお父さんとお子さんが座っている。お父さんがお子さんに教訓めいた話を言って聞かせている。「いいかい。いまは勉強が辛くても、頑張ってやれば将来きっと役に立つ。なにごとも基礎が大事なんだ。ピカソを観てごらん。昔ちゃんとまともな絵を勉強していたからこそ、あんなワケのわからない絵を描いていても評価されるんだ。残念ながら彼の絵は生前たった1枚しか売れなかったけど、後世に名を残したじゃないか」
皆さん、もうお気付きだろう。お父さんはピカソとゴッホがごっちゃになっているのである。ピカソは生前から、3万点を越える作品のすべてが高価で取り引きされたポップスターで、豪華な車を乗り回していたのに。僕は思わず「それはゴッ……」と舌先まで出て、フト口に手を当てた。ここで僕がツッコミを入れたら、せっかくいい話をしているお父さんの威厳が丸つぶれだ。こういう時は、どうしていいのかわからなくなる。
それにも増して思うのが、日本人はこの「ピカソは昔はちゃんとした絵を描いていたから、どうのこうの」という話が本当に好きだ、ということ。あちこちで聞く。もーう何十回聞いたかわからない。まるで青の時代を「修業時代」だとでも思っているようだ。ピカソが生きていたら、思わず「ほななにかい。わしのバラ色の時代やキュビズムの時代は“ワケわからん”けど、青の時代があったから許してもらっとんのかい」と怒っていただろう。ピカソを苦労の末に才能が開花したと考えるのは、たぶん日本人特有の感覚である。

このように日本には、説明がつきにくい奇妙な例え話や言い回し、習慣、動作がたくさんある。そういった得体の知れないものたちを鋭く見抜いた本が劇作家・宮沢章夫さんの『青空の方法』。
例えば、お父さんがお酒を飲みに行く時、誘った同僚はお母さんに必ずといってよいほど、こんなことを言う。「旦那さんをお借りします」。借りる? 何を。お父さんを、である。お父さんはお酒を飲みに行くたびに「借りられる」のだ。だから歓楽街はレンタルされたお父さんでいっぱいだ。
ほかにも変わった物言いに「卒業」がある。「もう、あんな遊びからは卒業」「もう賭けごとは卒業したよ」。なぜ、やめると卒業なのか。僕はしばしば禁煙する。そして誘惑に勝てず、また煙草を口にしてしまう。これは「禁煙からの卒業」なのだろうか。だんだん、わけがわからなくなってくる。そして言葉が気になって仕方なくなってくる。「恥ずかしがり屋」ってどんな商売だ。「私事で恐縮ですが」と言う人はどんな恐縮すべき生活を送っているのか。「負け犬になりたくない」と言う人が「勝ち犬になりたい」と言わないのはなぜか。どうして報道番組は夏のビールの消費量をすぐに東京ドーム何杯分に例えたがるのか。業界人は、なぜすぐ後ろから人の肩をもみながら「どう? 頑張ってる? 吉村選手」と言うのか。僕はなんの競技に出ているのだ。それから、なぜあんたはトレーナーを着ずに肩からかけているのだ。
考え出すと面白くて止まらなくなってきた。これは、止まらなくなってしまう本なのだ。お薦めの本だが、読むのは期末テストが終わってからにしたほうがいい。でないと「なんで算数が、中学に入った途端に“数学”に名前を変えてしまうのか。“算”の立場は」といったことまで考え出してしまうからだ。