2001-10-31 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
日が暮れると、途端にグンと冷え込む季節になった。こんな宵はダシの香りに誘われてラーメン屋の暖簾をくぐり身も心もホカホカにあったまるのが何よりの楽しみだが、ここでいきなり抽象的なことを言わせていただく。
「ラーメンって、いったい何?」
この国に飲食物数あれど、ラーメンほど不思議な食べ物はない。ラーメンと聞いて、あなたはどんなモノを思い浮かべるだろうか。あっさり醤油ラーメン? それとも味噌ラーメン? いま流行りの塩ラーメン? トンコツ? カレーラーメンなんてのもあるぞ。
ベーシックな味の分類だけでもこんなにあるうえ、さらに塩ベースにコーンやバターの乗った函館系、濃厚な味噌味にモヤシてんこ盛りの札幌系、細い麺に紅生姜が乗った博多系、醤油とトンコツを合わせた和歌山系、麺がうどんのような沖縄系、麺が平べったい喜多方系、脂で湯気が立たないほどの土佐系、大量の白菜で麺が見えない奈良天理系、ほかにも「飛騨ラーメン」「佐野ラーメン」「京風ラーメン」なんて無謀なものも。京都なんて、もともとラーメンとは無縁の街なのに!
これが横浜や荻窪、環七、環八のような激戦区になると、さ〜ら〜に細分化が極まり「家系」という想像するだに恐ろしい世界に突入する。カツオダシの春木屋系、トリを徹底的に煮崩した天下一品系、背脂ギットギトのホープ軒系などなど、もう「なんでんかんでん」な混沌宇宙。こういったラーメン曼陀羅の外周には、豆板醤たっぷりの「四川担々麺」、スープのない「油そば」、冷たく冷やした麺をわざわざ熱いダシに浸して台なしにしてしまう「つけめん」、最近とみに台頭著しい「トマトラーメン」などが、ぐるぐる回っているのである。ワケがわからん! 助けてくれ! もうカップラーメンで充分だよ〜、とコンビニに飛び込めば、そこには「豚キムチとんこつしょうゆ」「回鍋肉みそ」「じゃが盛りタンメン」「ガラの黄金比」「ツナポテト」「ラーメン街道3号線」「ハヤシ醤油」「こってり白胡麻」「チキン唐揚げ白湯」「豚角煮」「頑固オヤジのげんこつ味」「チーズフォンデュヌードル」「イカスミヌードル」(!)……来るんじゃなかった。もう許して。ラーメンから追いつめられている。もはや誰もラーメンから逃れて生きることはできない。まさに麺・イン・ブラック。
人にはそれぞれ好みのラーメンがある。いや、好みなどというなま易しいものではなく“魂”。「ラーメン・ソウル」と呼んで過言ではない。だから人は、たかだかラーメンを食べるために行列を作る。夜の国道など「ラーメン渋滞」が起きるほどだ。そしてラーメンの味の好みでしばしばガチンコな喧嘩が起きたりする。行きつけのラーメン屋は、すなわちあなたの「居場所」である。そういう点でラーメンは、もはや食べ物ですらないのかもしれない。どんなラーメンを食べるかは、もはや「どんな生き方をしているか」と問われているのと同義なのだ!

と、思わずアツくなって大袈裟すぎることをわめき散らしているが、『小説 中華そば「江ぐち」』は、三鷹に実在する一軒のラーメン屋に通いつめた男の、カウンターと客席とのほんのわずかの距離の中に生まれる人間模様と「湯気の向こうのラーメン妄想」を書ききった名著である。
ひとつだけ残念なことは、あまりに美味そうな描写にたまらず、さっそく江ぐちに行ってみたのだが、あんまおいしくなかったこと。
しかしそれは「人はみな違う。個性がある。ラーメンの数だけ」を逆に証明しているのだ。