2001-07-25 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
僕がもっとも好きな画家は岡本太郎だ。
いや画家というカテゴリーに閉じ込めることは岡本太郎氏のもっとも嫌うことだろう。氏は絵を描き、造形作品を彫り、焼き物をこね、建築物をデザインし、文章を書き、翻訳をし、写真を撮り、作曲をし、ピアノを弾き、テレビやラジオで活躍し、そして豪快きわまりないスキーの腕を見せた(意外に思われるだろうが岡本太郎は名スキーヤーである。完全な独学でスキーに挑み、はじめて2日後にはもうプロでも縮みあがる急斜面を滑り降り仰天させた。スキーに関する著書もある)。今ならきっと「マルチ作家」という安っぽい肩書きがあてがわれたろうが、氏は表現手段は違えど、やりたいことはただひとつ「自己との闘いなかから発生する爆発」だった。芸術は爆発だ! 岡本太郎は「爆発家」なのだ。
僕が岡本太郎のスピリットにシビれまくったきっかけは、多くの大阪育ちの少年少女たちがそうであったように、多分に漏れず1970年に日本万国博覧会会場に屹立した「太陽の塔」だ。奇抜すぎるデザインに腰を抜かしたのもさることながら、この太陽の塔をめぐる大騒動が、幼い僕をすらワクワクハラハラさせてやまなかったのだ。
太陽の塔がその姿をドーンと現した時、美術界は酷評の嵐。「下品だ」「グロテスク」「原色や金色を使うなんて幼稚だ」と罵倒攻撃を浴びた。作品への批判というより、なにかと画壇に反発する岡本太郎をここぞとばかりにやりこめたというのが正直なところだろう。あまりの非難に当時の大阪市長が取り壊しを命じたほど。
そしてもっとも物議を醸したのが、太陽の塔の持つテーマだった。万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」。なのに岡本太郎は「人類は縄文時代から進歩どころか退化しているじゃないか。そして、譲り合い、自分の個性を殺しあう“調和”など愚かなことだ」という想いを太陽の塔に託したのである。博覧会のシンボルがアンチテーゼだなんて、なんとパンクな。そして月日は過ぎ、「調和」しなかった太陽の塔は永久保存が決まった。大衆はこの批判まみれの塔を愛したのだ。

岡本太郎が70年代に青年向け週刊誌で連載していた人生相談「にらめっこ問答」が、このたび『太郎に訊け! 岡本太郎流爆発人生相談』という書名で復刻された。人間関係に悩む相談者を「人に好かれようなんて思うな」と一刀両断。当時連載を読んでいた僕は、どれほど勇気づけられたか。人に好かれるために媚びる必要はない。自分を貫いた人こそ最終的に支持されるのだ。太陽の塔のように。