2001-07-18 号
吉村 智樹(ライター・放送作家)
人は、自分で自分の身体のことを意外とよく知らないものだ。「自分の肝臓や腎臓のある場所に、手を当ててみなさい」。そう言われて、果たしてどれほどの人がピタリとその場所を当てられるだろうか。肝臓は胸とお腹の境目の右下にあり、肋骨で覆われている人体最大の臓器。腎臓は背筋の両側にある。腎臓のある場所を指せと命じられて、手をさっと背中に持っていけた人には、なんかあげたいくらいだ。
そんなふうに位置さえ迷う臓器だが、どちらも「解毒」という大きな働きがあり、このふたつが活動を停止すると、「死」につながる。本来もっともっと重要視すべき部位なのである。

そして、この肝臓と腎臓の機能がいっぺんに壊死し、生死の淵を彷徨ったひとりの男がいた。『僕は、これほどまで生きたかった。』は、余命半年を宣告され瀕死の状態にあった男が、医師と妻と子と仕事仲間とボランティアスタッフと、治療のための募金に協力した何百人という善意の第三者と対峙し、見事「肝臓・腎臓同時移植」に成功し生還するまでを綴った血まみれのドキュメンタリーだ。
彼の名は萩原正人。職業は芸能人。決して「萩原聖人」の誤字ではない。その名を知っている人はよほどのマニアだろう。彼は「キリングセンス」という、正直あまり売れていないお笑いコンビのひとりなのだ。
彼はお笑いという職業を持ちながら、決して笑えない持病「母子感染によるB型肝炎」を抱えていた。B型肝炎の多くは体内に抗体ができて、成人すると自然に治る。ところがまれに慢性化し、末期の肝硬変にまで進行。彼はその「まれ」なひとりだった。そして余命いくばくもないことを医師から宣告される。
芸能界でも成功しないまま、死を待つだけの日々。そこに一條の光が差す。彼の所属する事務所の先輩、爆笑問題の太田がインターネットで、アメリカで海外移植する方法と、それをサポートするボランティア機関が日本にあることをつきとめたのだ。あきらめきっていた彼に「生きたい」という強い意志が芽生えた。しかし希望の前には、臓器提供者が現れるまでの、激痛と精神的ひっ迫にさいなまれる地獄のような日々が待っていた。
とにかく、これでもかこれでもかと病状が悪化する日々と、移植手術が長引いてゆく苛立ちに、ページをめくるのが辛くなってゆく。しかし彼は生きた。もはや彼の命は、彼ひとりだけの命ではない。生還を祈る人々、彼と同じように「生きたい」と願う人々すべての命だった。