2002-12-17 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
先週の土曜日、寒い寒いストックホルムから帰ってきました。ノーベル賞を受賞した田中耕一さんも日曜日に帰ってきましたが、とても疲れた様子でしたね。それもそのはず、ストックホルムでは連日の歓迎会や晩餐会、講演に会見などの予定が目白押しだった上に、相当お疲れのときでも、私達報道陣の質問にできる限り答えようとしてくれていたのですから。
現場で私が感じていた田中さんの誠実で素直な人柄は、きっとテレビの映像を通しても伝わったことと思います。報道陣一人一人に、努めてちゃんと対応しようとする姿が、かえって痛々しく見えた人もいるかもしれません。私もまた取材しながら、申し訳ない気持ちになることが度々ありました。なんといっても、日に日に疲れていく様子が目に見えてわかっていたからです。
それでも私達報道陣は、田中さんに対する取材を続けようとしました。なぜならそれは、私達メディアが、報道という国民の知る権利の代行をしながら、一方で、メディアどうしで競争しているからです。他の番組やテレビ局や新聞社が持っていない情報を、独自の視点からの取材で伝えたい、記者の誰もがそう思って、申し訳ない気持ちになりながらも、カメラを向け、質問を投げかけていたに違いないと思います。
私の局の取材チームに関しては、少なくとも私達なりの基準で、取材をある程度自制していました。私的な外出をホテルの出口で待ち構えるとか、四六時中車で後を付けて回るような追従取材はせず、会見以外の機会としては、様々な行事の折、建物の入り口や出口で列を作って待ち構えて、声をかける方法で田中さんの言葉を拾いました。
他の取材者もそれなりの自制があったはずだとは思いますが、問題がより大きくなってしまったのは、80人もの報道陣がいっせいに詰め掛けたからです。数が少なければ静穏が保たれることも、数が多ければ騒動になります。
ならば規制を厳しくして取材を一社だけに限ってしまえばどうか、というと、それにはそれでマイナスの面があるのです。
というのは、各テレビ局や新聞、雑誌が独自の視点で取材し、情報を伝えることにより、視聴者や読者は複数の視点を持つことができます。それによって、物事や人物が多面的に立体的に見えてくるでしょう。もしどのチャンネルに合わせても、金太郎飴のごとく同じ映像ばかりが流れていたら、私達は、起きている出来事のごく一部分しか理解することができません。
そういう意味で私は、数か多くなってもできる限りメディアの規制はすべきでないと思います。しかし一方で、知る権利を振りかざせば何でも許されるわけではありません。まして私人のプライベートを覗き見るための言い訳に使うなんて、もってのほかです。これもまた、メディアに関わる人間が肝に銘じておかなければならないことだと思っています。
今回の田中耕一さん取材をめぐる問題で、より深く考えるべきは、実は報道陣の数の問題より、ノーベル賞受賞と同時に日本一有名なサラリーマンになり、日本中の関心を集めた田中さんについて、どこまでを公に伝えるべきニュースの範囲ととらえるか、ではなかったか? と私は思います。
取材をする、される、両方の立場を同時に経験するアナウンサーとしての私に言わせれば、「自分はどちらか一方の立場にしかなりえない」といって想像力を働かせないことが、たやすくプライベートを侵害する原因の一つになっていると思います。
いまはまだ、社会全体の“知りたい”という気持ちが、取材される人の“知られたくない”という気持ちより優先されがちです。しかし、だんだんとプライバシーについての考えは変わってきています。とりわけ取材される側のプライバシーを守ることについては、強く規制をかける法律が作られ、取材が難しくなった面もあります。
知らせるべき公の部分をどうとらえるか、一人一人がどちらの立場にも自分を置き換えて考えるべきでしょう。そして皆さんには、テレビや新聞の情報を目にするとき、そうした様々なせめぎ合いの中から情報が届けられていることを、心に留めておいて欲しいのです。