2002-12-03 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
先週金曜日の「朝まで生テレビ!」は、“拉致問題と日本の国益”をテーマに取り上げました。なぜ突然に“国益”という言葉が出てきたのでしょうか? それは「私達日本人が拉致問題によって、“国家”と“個人”について考えざるを得なくなった」という認識を、番組として持ったからなのです。
どういうことなのか?もう少し掘り下げて見ましょう。今、北朝鮮から帰国した5人の拉致被害者は、この2ヶ月間、北朝鮮にいる家族と離れ離れの状態が続いています。これは、いったん北朝鮮に戻って家族に会うのでなく、あくまで家族を呼んで、日本で会うという政府の方針に5人が従っているからです。
政府の方針に従っていれば、最終的には家族揃って日本で一緒に暮らすことができるようになるかもしれません。しかし現状では、家族が再会することよりも、政府が目指す“拉致問題の全面解決”や“安全保障の確保”のために、外交の筋を通すことが優先されているのです。
仮に5人のうち誰かが、北朝鮮に戻りたいと言い張っても、おそらく日本政府は許さなかったでしょう。なぜなら、5人のうち1人でも北朝鮮に戻ってしまうと、北朝鮮は「やっぱり彼らはこちらの方がいいのだ」と言って、全員を連れ戻す口実にしてしまうからです。
このように現状だけを切り取ってみれば、日本政府は、家族の再会という“個人”的な幸せよりも、北朝鮮から譲歩を引き出す、という“国益”を優先しています。
実は、このような“個人より国家”という考え方は、これまでの日本外交の方針や戦略には、ほとんどありませんでした。世論もまた、「“国家”の利益よりも、“個人”の権利や幸せのほうが常に優先される」という考え方が圧倒的多数だったからです。
なぜそうだったのか?というのは過去の戦争への反省が大きく影響していると思いますが、むしろ現在の問題は、これまでとは違う政府と世論の姿勢が、今後どのような結末をもたらすのか?という点です。
「“国益”のために“個人”の幸せを差し出す」という行為の是非は、拉致問題のみならず個人情報保護法や武力攻撃事態法などを考える上で、避けてとおれない問題です。
北朝鮮との交渉に関して言えば、日本政府が「原理原則を貫く」として、果たしてこのままで、家族は本当に一緒に暮らすことができるようになるのでしょうか? “国家と個人”の問題は、5人が家族と離れ離れの時間が長引くほど、その議論が大きくなるにちがいありません…。
“国”“国家”“国家権力”とはなんなのか?機会をみて私も取り上げたいと思いますが、来週はいったんお休みして、ストックホルムからのリポートをお届けします。今週木曜日から1週間ノルウェーのストックホルムに行ってきます。中身は、読んでのお楽しみです。