2002-10-22 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
10月15日に北朝鮮の拉致被害者が帰国してから、1週間がたちました。予定された滞在期間の半分が過ぎたわけですが、24年ぶりに、共に時間を過ごしている家族の言葉や、テレビカメラの映像を通じて、帰国した5人の気持ちが、刻々と変化している様子が伝わってきます。中には永住帰国を前向きに考えている人もいるようで、改めて“故郷”というものの力には目を見張る思いです。
私が今回、拉致被害者の帰国後を取材して最も強く感じたのは、まさにその“故郷”が人の心を動かす力の大きさでした。
私は取材の中で、まず東京のホテルで行われた5人の初めての会見を聞いて、2日後、蓮池薫さんが新潟駅に到着したところから、自宅に到着し旧知の人々や親戚に迎えられるところまでを目の当たりにしました。
蓮池さんは、新潟駅についてから柏崎の自宅までの4時間半、ほとんど感情が大きく触れる様子もなく、非常に硬い表情に見えました。
唯一、柏崎市役所前で新潟からのバスを降り、中学校の野球部の同級生を見つけた瞬間は、駆け寄って大喜びする蓮池さんの表情が見られました。しかし、報道陣に囲まれているという状況のせいか、すぐにもとの表情に戻ってしまったのです。
柏崎での会見中も、東京のホテルでの会見と変わらず、質問を受けず短いコメントだけで席を立ち、笑顔も感涙も見せず、私には喜びや感激が心の内から溢れ出ているような様子には見えませんでした。
それに比べて、テレビ画面で見る地村さん、浜本さん、曽我さんの3人は、地元に戻っただけでも大きく感情が動いた様子で、会見中に涙をこぼし笑顔で声を上げていました。蓮池さんの硬い表情は、元来の蓮池さんのものなのだろうか?それとも北朝鮮での生活がそうさせてしまったのだろうか?と私は取材中ずっと考えていました。
そんな蓮池さんの表情から、初めて緊張感が消えたように思えたのは、生まれ育った我が家に帰り着き、かつての同級生や恩師、昔なじみのご近所さんたちに、温かく出迎えられた後でした。
次々と涙や笑顔の抱擁を受け、最後に花束を受け取った蓮池さんが、自分を出迎えてくれた人たちをぐるっと見渡して、とても満足そうな笑顔をしたのです。
その後の蓮池さんの変化は、皆さんもニュースなどで目にして、感じているかもしれません。報道陣の質問をまったく受けなかった蓮池さんが、先週土曜日には自ら希望して、自宅前で会見を行いました。
“帰国した5人の中ではリーダー格で、北朝鮮に報告する義務を負っている”というような報道もありましたが、会見では「奥土さんと籍を入れ、ゆくゆくは子供達の日本の戸籍も作りたい」と語りました。
その時の表情は、故郷に帰るまで続いていた硬い表情とは、まるで違って見えました。私は変化の大きさにびっくりしたのと同時に、蓮池さんがどれほどの緊張感を背負って日本に帰国したのだろうか、その重圧が思い遣られ、少し理解できたような気持ちになりました。
しかし、懐かしい人・風景・食事…、そうしたものの全てが、たった1週間でこれだけの表情の変化をもたらしたのなら、永住帰国すれば、きっと日本にいた頃の自分を取り戻せるのではないか、という気がしました。
すでに日朝間で、永住帰国に向けての調整が始まっているようです。北朝鮮が本当に5人の永住帰国を許すのか?そして拉致被害者の子供たちが、日本行きをどう受け止めるか? 帰国後の生活を、政府はもちろん私たち日本国民がどうサポートするのか、といったことが今後の問題となりそうです。
その調整の行方に大きく影響を与えそうなのが、アメリカと北朝鮮の関係です。核開発をめぐって微妙になっている二国の関係はどうなっているのか? このことについては、機会を見てお伝えしましょう。
来週は、再び北朝鮮へと向かう拉致被害者達の表情を私なりにとらえたいと思います。