2002-10-01 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
先週金曜日、朝まで生テレビでは、北朝鮮外交とアメリカのイラク攻撃について、大変面白い議論が展開されました。これについてはまた後日ご紹介するとして、今回のコラムは先週の続きです。
真紀子さんをめぐるワイドショー政治に問題があるとしたら、それは、一時期のテレビが、真紀子さんを批判できない状況に陥ったことにあると、私は思います。
“真紀子人気”絶頂の頃を振り返ると、当時の視聴者は、極端に“真紀子擁護”に傾いていたように思います。番組で真紀子さんに批判的な表現をすると、視聴率が下がるばかりでなく、「真紀子さんをいじめるな!」という視聴者からの抗議電話がテレビ各局に殺到していました。
あまりの反発に、テレビ局は、“真紀子批判”的な内容をあまり放送しなくなりました。というのも、テレビ局はより高い視聴率を稼ぎ、スポンサーに番組を買ってもらう(正確には、番組の中でコマーシャルを放送する権利を買ってもらう)ことで番組を放送しているからです。
高い視聴率をとるために、テレビ局は視聴者が見たいものを放送します。とりわけワイドショーは、事態の構図をより分かりやすく、より面白く見せることで、高視聴率を狙う番組なので、視聴者の好みに左右される度合いが大きくなります。そのため、“真紀子批判”は一時期テレビから消えてしまったのです。
視聴者からそっぽを向かれ、スポンサーからのお金がなければ大事な中身だって放送できなくなりますから、結局のところ、番組の中身を決めているのは、実は、テレビを見ている一般の視聴者だと言えるかもしれません。
ということは、たとえ、ある情報が重要な意味を持っていても、私達にとって耳が痛い、不愉快な話だと伝わりにくく、逆に耳障りのいい、興味を引く情報は、いくつもの番組で増幅され伝わっていく、ということになります。
この点こそ、大衆迎合的であるがゆえに、多様性を否定してしまう、という「田中真紀子さんをめぐるワイドショー政治」の問題点だったと、私は思います。
しかし、視聴者の反発があるからといって、一方的な見方しか放送できないというのは、おかしな話だし、本来そうあってはなりません。多様性の否定は、“民主主義”ではなく“独裁”を選ぶ、ということに他ならないのです。
ワイドショーに限らず、テレビ番組は人々の興味や関心を引き、話題づくりをすることを前提に作られている——。このことを念頭において、得られる情報を判断すること、それが、テレビの“正しい見方”ではないかな、と思います。
そして、様々なメディアを経由した情報に触れ、反対意見にも耳を傾ける姿勢をもつこと、これこそが、ワイドショー政治の問題を克服し、マスコミを民主主義に役立てる力となると私は考えています。