2002-06-18 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
今日は仙台で、サッカー日本代表がトルコと戦いますね。W杯で初めての決勝トーナメント進出、それを決定付けた6月14日のチュニジア戦を、私は幸運にもスタジアムで見ることが出来たのです!そこで見たもの、感じたことを、今週はみなさんにお伝えしたいと思います。
私の6月14日は、新幹線が到着する新大阪駅から始まりました。試合開始2時間前、すでに駅の券売所には、往復の切符を買う人たちの行列ができていました。同じユニフォームを着て、世紀の瞬間を一緒に味わうであろう、それらの人たちに、言葉にならない一体感を感じながら、長居までの30分間を過ごしました。
地下鉄の階段を人の波に押されて上がると、じりじり熱い大阪の夏の日差しに、懐かしい長居競技場が鈍く光って見えました。3年前ペルージャとセレッソ大阪の試合を見に来たことがあります。
25年前に近くに住むいとこ達を訪ねた折、スアジアムのある長居公園で遊んでいました。私達の生活の中にあって、普段からサッカーを見ている競技場、だからこそでしょうか、そこで世界一のサッカーの大会が行われるということが、すぐには実感できませんでした。
私の席はメインスタンド2階。勾配が急で狭い階段を、ほとんど最上段まで上りつめ振り返ったとき、青に染まった巨大なすり鉢上のスタジアムと、その底に横たわる緑の芝が目の前に広がりました。
長居競技場を隙間なく埋めた6万人近い観客、そのほとんどが日本サポーターです。これほどの人が、90分間たった一つのボールをおいかけ、たった一つの願いを共にする機会がかつてあっただろうか?そして自国で開催されるW杯以外にそのチャンスがあっただろうか?と私は考えました。
国歌を斉唱し、国旗を振って応援するのは、オリンピックでも見られる光景です。しかし、6万人の声援は、競技数の多いオリンピックでは考えられません。観客のウェーブが、試合までの20分間絶え間なくスタジアムをめぐり、選手紹介に6万人が声を上げると、地響きのようなうねりが空気に伝わるのです。国歌斉唱の後、巨大な歓声を受けてピッチに散っていく選手たちを見て、私にも言い様のない緊張感が漲りました。
試合の内容については、すでに皆さんもよくご存知でしょう。森島選手のゴールは、スタジアムに一瞬の真空状態があった後、それが割れんばかりの歓声に変わりました。私自身も立ち上がってこぶしを突き上げ、ありったけの声で雄たけびを上げ、隣の人と抱き合って喜びました。
そして、中田選手のヘディングシュート。彼が交代でベンチへ帰るとき、スタジアムに自然と「ヒデ!ヒデ!」のコールが起こりました。チームを引っ張ってきた彼がついにゴールを決めた!という喜びで一つになったようでした。
試合の後は、去りがたい空気がスアジアムを支配しました。それは、日本が決勝トーナメントに進んだという感動だけではなく、一体感をもう少し味わっていたいからではなかったかという気がします。
知らない人たちと一つになる感覚というのは、スタジアムで空気を伝わるうねりを感じ取るようなものです。その感覚は、他のことでは決して味わえない喜びであるということも、私は今回知りました。
たとえば、初めて会う人の中に自分との共通点を見つけたときの、少し嬉しい感じが、スタジアムならそのまま6万倍になる、と言えばわかってもらえるでしょうか?サッカーのもたらす強烈な一体感は、私達の中にある国民性のようなもの、知らない人との間に壁を感じ、簡単に乗り越えることを躊躇しがちな感性に、逆向きの大きなインパクトを与えたのではないかと思います。
そしてもう一つ、私自身初めて「日本が勝った」という感覚を、素直に受けとめ喜んだのが、6月9日であり14日でした。かつても、東京オリンピックでこんな熱狂があったそうです。”東洋の魔女”と言われた女子バレーボール日本代表チームが金メダルを取ったときのことです。
当時の盛り上がりを生んだエネルギーは、太平洋戦争に負けたという自尊心への傷、だったのではないかと私は想像します。今回のW杯は、どうでしょうか。
やや落ち目とはいえ世界第2の経済大国となった日本、主要国の一員として20年間振舞ってきた日本が、ようやく自分たちのチームの勝利を、奢りも卑下もなく喜べる”経験”と”立場”を身につけた、と見ることができるかもしれません。
日本代表チームに”私達の”という枕詞をつける人もいますが、私には違和感があります。私が見る限り、サッカーW杯は媒介で、それにふれた日本人の多く(とりわけ若者)が、いままでにない規模の一体感がもたらす高揚を味わったのであり、それ以上でもそれ以下でもないような気がします。
この一体感が、国を愛する感情に変わりうるのか?また、先々何らかの暴走をしてしまうきっかけとなってしまうかどうか?は、W杯が終わるまで、もうしばらく見ておいたほうがいいと私は思います。
確かに一体感は高揚を伴って暴走しがちですが、それと同時に、熱しやすく冷めやすいのが日本人の国民性です。そして、私達の価値観や選択肢は、かつてないほど多様なベクトルを描いています。ひと時の高揚感だけで、それを簡単に捨て去るとはとても思えないのです。
今回は私も興奮しているらしく、随分長い文章になってしまいました。最後まで付き合ってくれてありがとうございました。さて、トルコ戦はどうなったでしょうか?六本木の街が和製フーリガンに占拠されなければいいのですが…。