2002-05-21 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
先週の金曜日まで、10日間ほどニューヨークに行ってきました。出張の目的は、ニューヨーク近郊で6月13日から行われる「全米オープン・ゴルフ」の取材です。といっても、滞在のうち半分をニューヨークの街で過ごしました。
今回は、先週までの有事法制の話を一休みして、私の見た限りで、あのテロ事件以来8ヶ月たった街がどんな様子だったか、お伝えしようと思います。
週末の昼間、ロケのために訪れた街の中心地、タイムズスクウェアは、誰かにぶつからずには歩けないぐらい、人があふれかえっていました。ミュージカルや芝居の当日券を半額で売るチケットオフィスには、50m近い行列が出来ていて、様々な国からの観光客が並んでいます。
アメリカ人はもちろん、ヨーロッパ、そして韓国や中国の人たちが目に付きます。「街に観光客が戻った」と、現地に住む取材コーディネーターが言う通り、シアター・ディストリクト(劇場街)には、事件前と変わらない活気が満ちているようでした。
東京に負けず劣らずの渋滞も、夜明けまで聞こえる喧騒も事件前と同じです。しかし、マンハッタン島の南端に威容を誇っていた貿易センタービルは、景色の中から完全に消えていて、ハドソン川の沖合いから見ると、ニューヨークの街全体が小さくなってしまったように見えました。
“グラウンド・ゼロ”と呼ばれる世界貿易センタービル跡地は、ビル街の谷底にぽっかりと空いた300m四方の空間になっていました。燃え残った瓦礫は完全に撤去され、地下三階くらいまで土が掘り返されて、何台ものブルドーザーが入っています。
もし、あのテロ事件とビルの崩壊を一切知らずにこの光景を見たら、新しいビルの建設現場としか思えないでしょう。その場所を見る人間の胸をかきむしる様な生々しい傷跡は、ほぼ消し去られていました。
東隣にある墓地のフェンスには、故人をしのぶメッセージがいくつも張り出されたままになっています。布に描かれたマジックの色は、時間の経過によって褪せていました。南側の細い通りを挟んだ数軒のビルは、ガラスの割れた窓をベニヤ板でふさぎ、使用されていません。
しかし、東側に四車線の通りを挟んで立つ50階建てくらいの高層ビルは、歩道部分を除いて補修工事をすっかり終えている様子です。いまの“グラウンド・ゼロ”には、臭いも粉塵も焼け焦げた跡もありません。
跡地全体を見渡せる簡易展望台のようなものがある、と聞いていましたが、私の目には入りませんでした。通りを挟んだ歩道で、聞き取れない言葉を話すアジア系の6人の家族連れが、“グラウンド・ゼロ”をバックに、笑顔で記念撮影していました。私は写真をとることができずに、その場から立ち去りました。
テレビCMや街の大きな看板で、はためくアメリカ国旗を背景にしたメッセージ広告「America We stand」(アメリカは挫けずに立ち上がる)を、数こそ少ないけれども、まだ見かけることが出来ます。
いまも、高層ビルのオフィスに入るときには、一階のゲートで、顔写真入りのIDを必ずチェックします。しかし人々の心の傷は別として、少なくとも、過剰なまでの愛国心を鼓舞するムードは、薄れてきているようでした。
傷を負ったニューヨークが、「らしさ」や「まともさ」を取り戻しつつある一方で、アメリカ政府はむしろ、受けた傷とは関係ない相手にまで、戦争を拡大しようとしているように見えます。相変わらず「戦時」を強調し、イラクへの攻撃をほのめかすアメリカ政府の態度は、あの“グランド・ゼロ”を取り巻く街の景色とあまりにもチグハグで、私は奇妙な違和感を覚えました。
そして5月30日、“グラウンド・ゼロ”での遺体収容作業がとうとう打ち切られます。例えとして少しかけ離れてしまいますが、神戸出身の私は、阪神大震災のとき、同じように遺体の収容作業に終止符が打たれた時のことを思い出します。悲しさは癒えないけれど、これを区切りに、前を向いて顔を上げて生きていこう、そう人々が決意する瞬間ではないでしょうか。
どうか、テロの大惨事が、場所を変えて繰り返されませんように、そして、アメリカの独りよがりな振る舞いが、新たなテロの引き金を引きませんように。他の国の人たちの愛国心も理解しようとする「まともさ」が、多少でも、その独りよがりに取って代わりますように…。
ニューヨークという街の中で、様々な人種の人たちが行き交う様子を見ていて、そう思いました。