2002-03-12 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
3月10日を過ぎて、いよいよ春らしくなってきました。日本の政治は、相変わらず鈴木宗男議員をめぐる疑惑一色ですが、今週の私のコラムは、ちょっと一休み。3月9日、10日に行われた私達アナウンサーの舞台のことをお話させてください。
アナウンサーの舞台って、何だろう? 初めて聞くとそう思うでしょう。私達は舞台の上で、朗読をやったり、動きがつかない声だけのお芝居やったり、実況ドラマをやったりしました。すべて、私達の”声”を主役にした演目です。普段はテレビでしか耳にすることのない、私達の生の声を、生の言葉を聞いて欲しい。そんな思いから、去年初めて舞台をやりました。アナウンサー自身それをとても楽しんで、しかも、たくさんの人たちが見に来てくれたので、今年もやることになったのです。
私は今年、太宰治作「葉桜と魔笛」を朗読しました。ある姉妹が主人公で、若くして死んでしまった妹との、死の直前の出来事を、姉が思い出して語るお話です。私の担当は姉。10分くらいの長い語りです。本格的な朗読は初めてだったので、どうすればいいのか大変戸惑いました。
というのも、普段の私達の仕事では、原稿の内容を間違いなく、正確に伝えることが、もっとも大切なことです。もちろん、番組の内容によって、明るくしたり、重々しくしたり、華やかにしたり、という演出はありますが、「正しくわかりやすく」伝えることができなければ、アナウンサーとして失格です。そのために、入社して3ヶ月毎日研修をし、仕事を始めてからもそれを心がけ、個人で練習しているのです。
ところが、朗読は違います。最低限、意味が伝わる声の大きさと言葉の明瞭さ(滑舌)は必要ですが、その許容範囲はずいぶん広いのです。むしろ、声の大きさや質や、間の取り方で、いかに表現するかが問われます。多少台詞やイントネーションがちがっても、気持ちが伝わることのほうが大切なのだ、というのが舞台での朗読です。
そして、朗読の練習を始めてから、自分の”アナウンサーらしい語り口”に気が付きました。書いてある文章をなるべく正確に、一定のトーンで読もうとするのです。確かにニュース原稿は、声の大きさや声の高さが一定であるほうが聞き易いとされています。私には、そのアナウンサーとしてやってきたことが、身に染み付いてしまっていたのです。
しかし、朗読は、それではいいものになりません。朗読のプロのアドバイスをもらって、まず、主人公が何歳くらいで、どんな風情で、どんな状況で語っているのかを具体的にイメージするようにしました。その世界を自分の中に作って、そこに入り込んで文章を読むのです。すると、アナウンサーとして読むよりも随分大胆に、間を取ったり、声を落としたり張り上げたり、スピードを変えたりするようになりました。それが、舞台から客席に向かって、気持ちを伝える第一歩だったのです。
朗読をやってみて、「伝達」することと、「表現」することは、別だ、というのがよくわかりました。私達アナウンサーが普段仕事にしている「伝達」は、内容が大切です。一方で「表現」は内容を、自分の体を使ってどう伝えるか、が大切なのです。驚いたことに、人間の声も、楽器の音色のように、奏でる人によって様々に表情を変え、同じ楽譜を、つまり同じ文章を読むにしても、まったく別の作品のように、聞いている人のところに届いていきます。
練習するうちに、文章をすっかり覚えてしまって、迎えた本番。スポットライトが当たると客席は真っ暗です。ライトのほうを向いてしまえば、お客さんの顔は見えません。そうやって緊張を紛らわし、なんとか自分の中の世界に入り込むことができました。すると、今度はお客さんのほうが、私に引っ張られるように、世界に入ってきてくれた気がするのです。なんだか自分では、別の人間になってしまったような10分間でした。
表現と伝達はちがう。あてはまる場面が違います。でも、どちらにしても、声を使って何かを伝えることは、とっても楽しい。そう思いました。誰かが私の言葉に耳を傾けてくれる、その言葉にのった気持ちが伝わっていく。そうやって、誰かと心を共有できる楽しさを、みなさんにもぜひ、いろいろな形で味わって欲しいです。ためしに、手近にある本でも、声に出して読んでみませんか。