2001-12-18 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
クリスマスが近づいて来ました。みなさんは、誰かにあげるプレゼントや、自分がもらうプレゼントには何がいいか、いろいろ考えているところでしょうか。血なまぐさい事件の多かった一年でしたが、最後にホッとする一瞬なのかもしれません。しかし、世界には、ホッとできない人たちもたくさんいることでしょう。
タリバンの投降によって、アフガニスタン情勢は新たな局面に入りつつありますが、過去の歴史を振り返ると、周囲を取り巻く国々や、大国との関わりが、アフガニスタンに大きな影響を与えてきました。今日は、タイムマシンに乗って30年ほど時間を遡りましょう。
1978年、アフガニスタンの北に接する大国ソビエト連邦が、アフガニスタンに侵攻しました。カスピ海沿岸の石油をインド洋に送るパイプラインの通り道と、冬も凍ることのない港(不凍港)を手に入れるため、ソ連はアフガニスタンを共産圏(ソ連を中心とする、共産主義国家のグループ)に取り込もうと、かねてから機会をうかがっていたのでした。
ソ連が侵攻の口実にしたのは、ムスリム(イスラム教信者)のゲリラ活動です。ソ連はまず、アフガニスタンを社会主義国家にしようと、裏で糸を引いてクーデターを起こさせ、共産党政権を誕生させました。これに反発した人たちが組織を作り、アフガニスタン各地で激しいゲリラ活動を行ったのです。
ソ連の侵攻に対し、当時ソ連と対立していた資本主義陣営のリーダー・アメリカは、共産圏の拡大を阻止すべく、共産党に反発するゲリラ組織を強力に支援しました。アメリカは、資金・武器の提供、更には軍事訓練まで直接指導し、多くの優秀なゲリラ戦士をも育てました。
そのゲリラ戦士たちは、イスラムの聖戦(ジハード)を戦う“ムジャヒディン(=聖戦士)”と呼ばれ、彼らのリーダーは国民の英雄となりました。現在、北部同盟の有力指導者である、ラバニ前大統領やドスタム将軍は、以前は皆ムジャヒディンだったのです。
また、このジハードには、アフガニスタン国内だけでなく、世界のイスラム諸国から義勇兵が集まりました。アラブ・アフガンと呼ばれたこれら義勇兵の中に、あのオサマ・ビンラディンもいました。オサマ・ビンラティンはまさに、アメリカ自身が、冷戦時代、自分の陣営を守るために育て、利用した戦士です。
もし、テロの首謀者が彼ならば、アメリカは冷戦時代に自分たちがやったことの、手痛いしっぺ返しを受けていると言えるかも知れません。冷戦時代、アメリカ(だけでなくソ連もですが…)は、自国の利益のために他国の紛争を利用し、都合が悪くなれば無責任に手を引いてきました。
ソ連は侵攻から10年後の1989年、アフガニスタンから撤退し、間もなく崩壊。アメリカは、ソ連撤退後のアフガニスタンで勢力を伸ばしてきたタリバンを、今度はイランと対抗するために利用しようとしました。
しかし、アメリカの民主主義の理念にはそぐわない、タリバンの女性迫害や人権侵害が明らかになってきたことなどで、アメリカ国内にタリバンを支援することへの反発が強まりました。一方湾岸戦争を機に、タリバンにも反米感情が高まった事もあり、アメリカはアフガニスタンから距離を置くようになったのです。
その後、今回のテロ事件が起こるまで、アメリカは積極的にアフガニスタンに関わろうとしませんでした。アフガニスタンの市民は、その後の内紛と飢餓によって、悲惨な生活を強いられていたというのに…。
大国がアフガニスタンを利用しようとしただけでなく、周囲の国々も自分たちの思惑で、アフガニスタンの内紛に手を突っ込みました。そして、そこにはアフガニスタンの未来に暗雲を想起させるような、今とよく似た状況が存在します。来週、この話をしましょう。