2001-12-04 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
歴史の中で蓄積されてきた、アラブの人々の怒り——。アメリカで起きたテロ事件の背景には、アラブ諸国を舞台にした欧米列強の思惑と、それに翻弄されたアラブ人達の、戦いの歴史が深く関わっています。
イスラエルの建国以来、一方的にイスラエルに肩入れしてきたアメリカが、パレスチナの和平に本格的に乗り出すのは、1991年の湾岸戦争後からです。しかし、画期的な和平の動きは、イスラエル、パレスチナ双方が、ノルウェーを仲介役にして進めた、秘密裏の交渉からでした。
ノルウェー政府の協力を得て、PLO(パレスチナ解放機構=国連が認めたパレスチナ人の代表組織)とイスラエル政府が進めた、この秘密の和平交渉は、やがて本格的な交渉に発展し、1993年、ついに和平合意(オスロ合意)が成立しました。
イスラエルとパレスチナの間に横たわる、怒りと復讐の長い歴史を思えば、この合意は、まさに画期的なことで、世界中が驚きをもって注目し、平和への期待をつのらせました。
オスロ合意を受けて、1993年には、PLOとイスラエル政府が「暫定自治に関する原則の宣言」に調印し、PLOのアラファト議長、イスラエルのラビン首相とペレス外相は、ノーベル平和賞を受賞したのです。
しかし、世界の人々の願いも空しく、その後の和平プロセスは進展しませんでした。イスラエルは、「原則の宣言」に定められた、パレスチナ人居住地域からの軍の撤退を、スケジュール通りに進めず、占領地へのイスラエル人の入植(移り住むこと)を続けたのです。
これによって、アラブ人、イスラエル人双方が再びテロの連鎖の中に引き戻され、和平プロセスは中断、2000年の9月からは、パレスチナ人の自治区などにおいて、民衆蜂起(インティファーダ)が始まっています。
パレスチナ過激派のイスラエル人居住区における自爆テロや、それに報復を加えるイスラエル軍の空爆で、パレスチナをめぐる事態は“停滞”というより、“後退している”と言ったほうがいいかもしれません。
そうした中で、90年代に入ってからのイスラム社会でも、他の国々と同様に、急速なグローバル化(という名のアメリカ化)が進みました。これによって貧富の差が広がり、貧しい人々や政治的な抑圧を受けている人々が、世界からおきざりにされた感覚を持つようになりました。
このことが、イスラム社会のアメリカに対する憎悪をいっそう高め、その結果、93年世界貿易センタービル爆弾テロ、98年ケニア・タンザニアの米大使館同時爆弾テロ、2000年イエメンでの米駆逐艦に対する爆弾テロなどの、対米テロ事件が起きたと言われています。
また、これらのテロ事件を通して、アメリカ国内では、過激なテロ組織と、それを育てる土壌になったイスラム社会の存在が、冷戦後の“新たな脅威”として意識されるようになりました。
それに加えてアメリカは、クリントン政権以降、中東和平プロセスに対して、消極的になっています。今年に入って誕生したブッシュ政権が、外交を得意としていないこと、そして経済的にも軍事的にも、世界でただ一つの大国になったことに対する“おごり”ともとれる、アメリカ国家の振る舞い(ユニラテラリズム)が、その姿勢の裏にあると言われています。
アメリカに対する憎悪をかき立てる、イスラム社会の中の貧困や、テロを原因とする、アメリカ社会の中のイスラムへの敵意に目を向けることはもちろんですが、世界からテロをなくすための、最も重要で根本的なカギの一つが、パレスチナ・イスラエル問題の解決であることは、言うまでもありません。
そして、今回の“アメリカの戦争”の舞台となっているアフガニスタンも、パレスチナ同様、大国の思惑に翻弄されてきた歴史を持っています。次回のコラムでは、“タリバン後”を難しいものにしているアフガニスタンの歴史を見てみましょう。