2001-11-20 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
イスラム社会が歴史の中で蓄積してきた“怒り”とは何か?
その根元は、20世紀初頭、欧米列強諸国が、自分たちの都合で勝手にアラブ地域を分断し、且つ支配したこと。そして、キリスト教徒によるユダヤ人迫害のツケを、アラブに払わせたことにあるといえるのではないでしょうか。
イギリスやフランスといったヨーロッパの大国は、18世紀ごろから、アジアの国々を次々に植民地化しました。中東は16世紀から、最後のイスラム帝国であるオスマン帝国が支配していましたが、第一次世界大戦後、イギリスとフランスが、委任統治するようになりました。
その際、イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の3大宗教の聖地があるパレスチナは、イギリスの支配下に入りました。
一方、19世紀末、ヨーロッパでは反ユダヤ主義と、それに対するユダヤ人のナショナリズムが高まりました。19世紀初め頃までの中世ヨーロッパ社会では、キリスト教が社会や政治に大きな影響を与えており、その中で、ユダヤ教を信仰するユダヤ人は差別を受けていたのです。
さらに19世紀半ばの産業革命以降、企業や個人間の経済的競争が激しくなり、商業においてはすでに長い歴史と影響力を持っていた、ユダヤ人に対する反発と差別が強まった、と言われています。
そうした中で、ユダヤ人達の間に「シオニズム運動」が起こります。ユダヤ教の聖地エルサレムにある「シオンの丘」にちなんで名付けられたこの運動は、パレスチナにユダヤ人の国を作ろう、という運動です。
シオニストは、“ユダヤ人”という民族として差別を受けることを逆手に取り、一つの民族だからこそ、自分たちの国家を持つ権利がある、と主張して、自分たちの国をパレスチナに作ろうと考えました。パレスチナにはユダヤ教の聖地があり、ユダヤ教を生んだヘブライ人のユダ王国が栄えた土地でもあるからです。
すでに1822年には、ユダヤ人がパレスチナへ移民を始めましたが、それを大きく後押ししたのが、当時、世界一の大国だったイギリスによる、1917年の「バルフォア宣言」でした。イギリスはこの宣言で、パレスチナにおけるユダヤ人達の国家建設を、支持したのです。
しかし一方でイギリスは、アラブのナショナリスト(民族の意志決定を、自ら行う権利=民族自決権を主張する人々)達に、アラブ独立国家を承認するつもりだと伝え、裏ではフランスと共に、アラブを分け合う約束をしていました。
第一次世界大戦に勝ったイギリスは、フランスとの約束通り、アラブを分割・委任統治し、聖地へのユダヤ人の移民を認めました。
約束を裏切られ、欧米列強の勝手な都合で自分たちの土地を分断された、アラブの人たちは怒りました。さらにこの時代、1933年のドイツ・ナチス政権の誕生と、ユダヤ人追放政策によって、ヨーロッパからのユダヤ人移民は急増しました。
ユダヤ人は、土地を買い占め、そこに住んでいたアラブ人を追い出しました。アラブ人達は暴動や反乱を起こしましたが、イギリスはシオニスト寄りの政策を変えず、アラブ人達のイギリスに対する不信や反発が募ったのです。
アラブの人々の中に生まれたヨーロッパ列強諸国への怒りは、第二次世界大戦後、新しく生まれた大国との関係においても、蓄積されてゆきます。来週もこの続きです。