2001-10-02 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
9月11日のテロ事件以来、3週間がたちました。ありえないことが起きてしまったという衝撃から立ち直る間もなく、刻々と入る情報に心を奪われ、時間の流れる感覚さえ、いつもと違っていたように感じます。
等しい間隔に刻まれた時間の帯のなかで、事件からの部分が、隙間からはみ出すほど濃くなって、ゆがんで見えるような気がします。その時間を過ごしている時はわからないけれど、振り返ってみると景色が変わっている…。歴史が大きく動く時というのは、こんなものなのでしょうか。
攻撃の準備が整えばすぐにでも軍事行動に出ると見られていたアメリカが、思いのほか慎重な取り組みを見せ始め、テロ非難でアメリカに同調していたヨーロッパ諸国も、軍事行動に対して独自のスタンスをとるようになっています。
一方我が日本は、事件の8日後に小泉総理が会見で「自衛隊を派遣するための措置を講じる」と明言しました。国会では自衛隊派遣のための新法制定が議論されていますが、すでに9月29日には、難民支援のための調査目的で、自衛隊の先遣隊がパキスタンに向かいました。
先週金曜日の「朝まで生テレビ」は、このテロ事件と、そして報復攻撃を行おうとしているアメリカに対して、日本のスタンスはこれでいいのか?また、どうあるべきなのか?という議論でした。
今回のテロ事件を、アメリカは「自由主義諸国に対する挑戦」だと言っています。もしその通りだと考えるなら、日本も自国民に犠牲者が出たテロの当事国として、アメリカとともに戦うという立場があるでしょう。
しかし、テロに対するアメリカの軍事行動が、たんなるテロへの報復だとしたら、日本は冷静になって、どのような立場をとるか、考えるべきではないでしょうか。そこには、暴力に対して暴力で対処することが、本当の解決に結びつくかどうか、という問題もあります。
アメリカの言う“新しい戦争”が、アメリカだけのものなのか、それとも自由主義諸国にとってのものなのかを判断するには、このテロ事件の背景にあるといわれる、アメリカとイスラム社会の関係にも目を向ける必要があるでしょう。
テロ事件に対する“日本の判断”は、自衛隊派遣という決断にも表されています。小泉総理は会見で「“主体的な”派遣である」と述べ、テロを受けた当事国として対応する姿勢を示しました。しかし一方で、自衛隊派遣は、「Show the flag(日の丸の旗を見せて欲しい)」というアーミテージ米国務副長官の言葉を受けたものであるとも言われています。いったい、これは主体的な行為なのか、アメリカの要請があったからなのか、どのような判断があって、自衛隊の派遣が決まったのでしょうか。
また、中谷防衛庁長官は「湾岸戦争の轍を踏まない」ために自衛隊派遣を決めた、と発言しています。「湾岸戦争の轍を踏まない」とは、いったいどういうことなのでしょうか。これまでの法律では対処できないような自衛隊の派遣を、法律もできないうちから決めてしまった背景には、何があるのでしょうか。
テロ事件に対するアメリカの行動、そして日本の行動……それらが日本にとって問題となり、議論になるのは、アメリカに対する日本の立場が、東西冷戦の終焉以来変化してきているから、だと思います。戦後から東西冷戦と、冷戦後、とりわけ湾岸戦争以降とでは、アメリカが日本に求めるものも、日本自身が描く自画像も大きく様変わりしました。今回の「朝まで生テレビ」の討論を聞いていて、私は、日本とアメリカの関係を改めてよく考えみよう、という気持ちになりました。
来週以降、テロ事件をめぐる議論について、日本とアメリカについて、さらに深く考えていきましょう。