2001-08-28 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
先の大戦(満州事変・日中戦争から太平洋戦争まで)のとらえ方は、同じ日本国民でも、その人が生きてきた時代や立場によってさまざまです。大きく分けると、あの戦争は侵略戦争だったのか、それとも自衛のための戦争だったのか、その二つの見方に分かれて対立していて、それが“靖国神社参拝問題”や“歴史教科書問題”といった問題を生み出しているのです。そんな対立が生じる原因の一つには、あの戦争についてのとらえ方を、自分たち自身で選び直さなかったことがあるといえるでしょう。
では、“選び直す”というのは、どういうことでしょうか。日本は終戦から7年間、連合国に占領されていました。連合国と言っても、実質的にはアメリカの政策によって、現在の体制の基礎が作られたのです。日本が国際社会にとって二度と軍事的な脅威とならないように、そして、欧米のよき同盟国になるように、アメリカは徹底して非軍事化・民主化政策を進めました。東京裁判によって先の大戦での日本の罪を問い、平和憲法と教育によって、“あの戦争は間違っていた”と日本人に徹底的に叩き込んだのです。こうしたことから、「間違った戦争」という価値観は、戦後の占領政策によって植え付けられたものだ、といわれるようになりました。
しかし「植え付けられた」といっても、日本はおおむねそれに従う形で戦後50年以上を過ごし、その間平和で、しかも経済的な豊かさにおいては、世界トップクラスの国になりました。結果オーライだったからこそ、与えられた価値観を、とりたてて自分たちのモノとして認識し直すこともなく、逆に大きな疑念を抱くこともないまま、なんとなく受け入れてここまでやってきたのでしょう。
また一方には、日本が50年もの長きにわたって、こうした戦後の枠組みや価値観を受け入れざるを得なかった、世界の情勢も背景にありました。日本の敗戦間近から、アメリカとソ連、二つの大国がそれぞれの覇権を争って対立しはじめた事がそれです。朝鮮戦争以後、世界は、ベルリンの壁に象徴される様に、ソ連をはじめとする東側の社会主義陣営と、アメリカをはじめとする西側の自由主義陣営に分かれて対立しました(東西冷戦構造)。どちらかの陣営に入らなければ国際社会で生きていけないという状況の中で、日本はアメリカを中心とする西側・自由主義陣営の一員として認められることによって、国際社会に復帰しようとしました。アメリカもまた、日本を西側のメンバーに引き入れようと考えていて、お互いの利害が噛み合ったところに、日本の戦後社会の枠組みが出来上がっていったのです。
長くなってしまいましたが、このテーマを来週も続けます。来週は、この東西冷戦構造が崩壊した後の日本について話します。