2001-07-03 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
日本の外交において、アジア諸国の感情に配慮することは、日本がこれまで経験した戦争につながる過去を、どうとらえるかということと絡んで、戦後ずっと重要かつデリケートな問題であり続けています。それが教科書問題の背景にもなっていることを前回話しました。
明治維新以降、太平洋戦争終結までの日本の近代史は、中国・韓国を中心としたアジアの国々から見れば、日本から受けた“侵略の歴史”ととらえられることが多いようです。だから戦後の日本は、戦力放棄を謳う憲法を堅持し、過去の侵略戦争を反省し、謝罪の気持ちを表現することを外交手段として、中国・韓国を含めたアジア諸国の信頼回復に務めてきました。過去の戦争や、それにつながった考え方や政策を肯定すること、国家を強調する意見や考え方は、アジア諸国との関係を保つ上でタブーだったのです。
たとえば「新しい歴史教科書」では、天皇や日の丸について詳しいコラムがありますが、いままでの教科書はそれにふれることを避けてきた傾向があります。1910年の日韓併合から太平洋戦争終結まで日本の占領下におかれた韓国では、日本語の使用や天皇を敬うことが強要され、母国語を使うことが禁じられました。占領地や戦場で掲げられた日の丸の旗は、日本の侵略や、戦場での日本軍による残虐な行為の象徴としてアジアの人々に記憶されているようです。また、戦争中の日本においても、国=(イコール)天皇であり、国民も軍隊も“天皇のため”という大義名分のもと、命も含めて犠牲にしてきました。だから日本人の中にも、天皇や日の丸を殊更に強調することに対して、否定的な人たちがいるのです。
しかし、日本の国内的な視点から見れば、明治維新以降の歴史には、近代国家へと成長を遂げたプラスの面と、軍部の台頭を許した結果、負ける戦争を起こしたマイナスの面があります。戦後長い間、日本は“ニ度と戦争を起こしてはならない”という国民の意識やアジアとの協調を重視し、マイナスの面に重きを置いてきました。しかし一方では、過去を否定しすぎているという意見を持つ人たちの不満がくすぶり続けていたのです。
1990年代に入って、東西冷戦構造が崩壊し日本を取り巻く安全保障面での環境が変化したことや、戦後50年以上たって世代交代が進むなかで、“親の世代が犯した過ちの責任を子の世代が負うのは納得できない”という意見も出るようにもなったことなどから、日本の歴史のプラス面にもっと目を向けようという人たちの声が大きくなってきました。そうした考えには、国家の枠組みや国という概念を重視し、国益を重視する「ナショナリズム」という思想に重なる部分もあります。近代史をプラスにとらえようとする人たちが、教科書問題で中国や韓国が修正要求を出してくることに対して「内政干渉だ」と反発しているのは、こうした思想的背景もあるのかもしれません。
アジアとの協調や過去の戦争を反省する視点に立つ人たちは、日本の近代史のプラス面をことさらに強調することが、戦争を起こした過ちを正当化することにつながっていると指摘しています。「新しい歴史教科書」の特徴は、たしかにこれまでの教科書に比べれば、近代史に限らず日本の歴史のプラス面を強調しています。日本人としての誇りを持てる歴史教育を目指して作られた「新しい歴史教科書」ですから、当然のことでしょう。しかし、どんな視点に立ったとしても過ちを正当化することがあってはいけないと思います。独善的にならず、どこまでがプラスであり、マイナスであったのかを冷静に見極めることこそが、歴史を学ぶことなのではないでしょうか。過去の賞賛でも否定でもなく“今を生きるために”歴史を学ぶのだと思います。それには、学校で勉強する歴史だけでは不十分だというのが私の考えです。なにしろ、現実には受験のために歴史を学び、授業時間の都合で近現代史は詳しく学習しないのが、私の経験した“学校における歴史教育”ですから。
この文章を読んで批判的に感じた人もいるかもしれませんが、ことほどさように歴史のとらえ方というのは、人により様々なものなのです。そういう、いろいろな価値観があるからこそ、いろいろな歴史の本を読んで、自分なりに考えてみて欲しいなあ!