2001-06-26 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
6月の始め、“新しい歴史教科書をつくる会”作成の中学校の歴史教科書が書店に並びました。これから歴史を学ぼうとする人達が、まっさらな状態でこの教科書を手に取ったとしても、それほどの違和感はないかもしれません。しかし、すでに歴史を学校で勉強した大人が読むと、自分たちの教科書にはなかった表現や記述があって、少なからず驚くと思います。
他のアジアの国々に比べて、日本は“ちがっていた”(独自性があった、あるいは優れていた)ということを、随所で比較を入れながら表現しており、また歴史上の事件や出来事について形容詞を用いている箇所が多く、これまでの教科書にくらべて叙情的な記述が見られます。なかでも象徴的なのは、近代史を学ぶにあたって挙げている前提のなかにある、「明治の日本人はどれほど心細かったであろうか」という表現です。その他にも例えば、元寇で「武士が勇敢に戦った」というところや、太平洋戦争のところで「多くの国民はよく働き、よく戦った」という表現があります。神話や君が代、昭和天皇について詳しく解説したコーナーもあって、いずれの特徴も、いままでの教科書にはなかったものです。
いままでにない、という意味で、私と同じように学校の授業を中心に歴史を勉強したフツウの人たちは、新鮮さや戸惑いをまず感じるだろうと思います。しかしその次にくるのが、上に挙げたような特徴に対する嫌悪である人もいれば、賛同である人たちもいます。
なぜそのような意見の違いが出てくるのか、歴史教科書をめぐる“議論の歴史”をのぞいてみましょう。
教科書をめぐる論争は昭和30年代からありましたが、いずれも歴史をどんな視点からみているかということが議論の対立軸になってきました。80年代半ばまでは、イデオロギーの対立、つまり資本主義圏と社会主義圏の対立が主な背景にあり、1980年代に入ってから、アジアの国々との関係が、教科書問題に絡んできました。そのきっかけは、1982年の社会科教科書の検定です。当時の文部省が検定で、中国・華北への「侵略」を「進出」と書き換えさせた、と報じられたことについて、中国、韓国が「歴史の歪曲だ」と日本政府に抗議しました。日本が悪いことをしていないかのように言い換えている、と中国や韓国は主張したのです。そこで政府は教科書の検定基準に「近隣アジア諸国に関する近現代の歴史的な事実には国際理解と国際協調の見地から配慮する」という、いわゆる“近隣諸国条項”を付け加えました。
しかしそこには「近隣諸国だけでなく、我が国の国民感情にも配慮すべきだ」という談話も付け加えられました。すでにこのころから、アジア諸国に配慮をすることと、自分たちの歴史を肯定的に、また他国の干渉を受けずに表現することの間で、議論が始まっていたのです。後者の意見を持つ人たちは、1986年“日本を守る国民会議”を結成し、高校の歴史教科書をつくりました。「日本の歴史に誇りと愛情を持ちうること」を主眼に編集されたこの教科書は、中国や韓国から反発を受け、政府は近隣諸国条項に基づき、検定が終わった後にも関わらず何度も修正を加えて最終的に合格としました。
この構図は、いまの歴史教科書問題とよく似ています。“新しい歴史教科書をつくる会”は1996年に検定に合格した教科書すべてに、「従軍慰安婦」が「強制連行された」という記述があることに反発して結成されました。既存の教科書は過去の日本のマイナス面ばかりに目を向けているという意味で“自虐的”であり、日本という国に誇りを持てる歴史教育をするべきだとして、中学の歴史と公民の教科書を作りました。検定合格後、歴史の教科書に対して中国が8項目、韓国が25項目の修正要求を出し、韓国はこの教科書が検定に合格したことに抗議して、駐日大使を一時的に引き上げました。しかし今回この要求に対して、政府が実際に修正を加える様子は、いまのところ見られません。1986年から2001年の間に、国際情勢や国民の意識が変化したことも背景にあるのでしょう。
かけ足ではありますが、歴史教科書が、“アジア諸国への配慮”という外交課題の一つとして、どのように揺れ動いてきたかが、少しはわかってもらえたでしょうか。しかし、歴史教科書問題には、“アジアと日本”という構図だけでなく、日本人自身の歴史のとらえ方における、日本国内の対立の構図も含まれています。なぜアジア諸国の感情に配慮が必要なのか、そこに私達の歴史のとらえ方がどう関係してくるのか、次回さらに詳しく見ていきましょう。