2001-06-19 号
丸川 珠代 (テレビ朝日アナウンサー)
今週は予定を変更して、大阪教育大学付属池田小学校で起きた事件のことを書きます。私は高校から、事件の起きた小学校と同じ敷地内にある附属高校に通っていました。同級生には、附小出身者も大勢います。関西地区では受験校として有名ですが、じつに自由でのんびりした校風で、郊外の古い住宅地にあって緑が多く、非常に治安の良いところでした。附小出身の友達は、小学校時代、登下校の際に学校周辺で「危ないから気をつけなさい」と言われた記憶はないと話しています。子供達がいる間に校門が閉められたことはないし、警備員が立っているなんてこともありませんでした。広々とした敷地で子供達がのびのび過ごしていた学校です。8人もの命が奪われるなんて考えられないし、許せないし腹が立ちます。子供や家族を学校に送りだして、そのまま二度と言葉を交わせなくなってしまった遺族の方々、また肉体的だけでなく精神的にも傷つけられてしまった子供達がどんな気持ちでいるかと思うと、涙が出ます。
犯人は当初、精神安定剤を大量に飲んで犯行に及んだと供述していたことから、精神鑑定を受けることになりました。しかし、その後供述をひるがえし、前日から犯行を計画していたと報道されました。もし本当にそうだとしたら、刑法39条を逆手に取った行為で、許せないことです。刑法39条は、心神耗弱の場合は減刑、心神喪失の場合は無罪と定めています。つまり、精神障害などで責任能力がないと判断された場合は、罪を問われないということです。通常、精神障害が疑われるケースでは、容疑者は起訴前に精神鑑定を受け、責任能力なしと判断されると、不起訴となり裁判が行われません。憲法はすべての人に裁判を受ける権利を保障していますが、起訴前に精神鑑定を受けることは法律に定められていません。しかし、今回のように精神病歴がある人が事件を起こした場合、起訴前に精神鑑定を行うことがほとんどです。裁判は被告にとっても検察にとっても負担が大きく、また、起訴して裁判で無罪になった場合、検察内部でこれを失態ととらえる風潮があるため、起訴前鑑定が通例になっていると言われています。
裁判が行われない、ということは事件の真相が公の場で明らかにならず、従って再発の防止にもつながらない、ということです。しかも、犯人のその後のケアは司法と警察の手を離れ、知事と病院の判断にまかされます。もし再び犯罪を起こすようなことがあったとき、病院と家族だけが責任を負うのでは、あまりに負担が大きすぎるのではないでしょうか。
精神障害者に対する差別は決してあってはならないことです。誰しもが心を病む可能性があります。だから、精神障害を装って人を殺すなど、言語道断です。もしこの容疑者が、検察の起訴前鑑定をくぐりぬけていたら、不起訴になっていたかもしれないと思うと、ぞっとします。心の診断は難しく、これまでの様々な事件でも鑑定医によっては結果が異なる事態が起きているのですから。
だからこそ、精神障害が疑われるケースでも、まず何らかの形で裁判を行うべきだと私は思います。もちろん裁判を行うためには刑法の改正は必要ありません。運用の問題だと思います。そして、責任無能力で無罪になったケースにおいては、家族や病院を公の機関が積極的にサポートする態勢を整えるべきではないでしょうか。国家権力の監視の元に置くのではなく、家族や病院が出す非常事態のサインに素早く確実に対応できるような“密着した”機関のあり方は、幼児虐待やドメスティック・バイオレンスの問題においても有効な議論になるはずだと思います。