

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2003-06-30 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
このサイトにやってくる人たちのなかには、メディア業界で働きたいと思っている人が多いのでしょうか。とくにメディアの伝え手(読者や視聴者に対して直接的に)になりたい人へ向けて今回は書きます。

『情報の目利きになる!』
日本にはいわゆるジャーナリスト養成機関といわれるものはほとんどありません。大学などでジャーナリスト教育をやっているところは皆無に等しい。「ジャーナリスト専門学校」とジャーナリスト養成の看板を掲げているような学校では現役ジャーナリストらが教えていて、おそらく(聴講したことがないので・・・)実践的なことが話されているのかもしれませんが、なぜかそれ系学校出身の書き手にはめぐり合ったことはありません。なんでだろ?
ちょっと前に朝日新聞の西部本社労組で「犯罪被害者と報道被害」についてしゃべってきたのですが、信じがたい報道被害が起きる原因の一つは、報道の右も左もわからない素人がいきなり現場に放り出され、ネタをとるための夜討ち朝駆け競争、ネタの抜いた抜かれた戦争に巻き込まれることにある、と話してきました。つまり特ダネをどこよりも早くとるために血眼になることが、ジャーナリストだと勘違いしてしまい、犯罪被害者に対してなんの配慮をしないばかりか、遺族や被害者にとって二次被害・三次被害ともいえる屈辱を与えてしまうという事態を招くのです。
アメリカの大学の多くには「スクール・オブ・ジャーナリズム」があり、そこで教育を受けた者がマス報道に携わることになります。ここでは例えば、犯罪被害者取材で絶対にやってはいけないこと、使ってはいけない言葉などを徹底して教えられ、本物の記者を招いて実際の取材現場を再現してもらい、学生が参加してロールプレイしたりもします。そんな長期にわたる教育がおこなわれていても問題は起きます。
日本は新聞社などでは入社してから取材技術など一定の教育は受けますが、すぐに現場主義に出され「先輩から盗め」となる。しかし、とくに報道被害の温床とされるワイドショー系の記者たちは大半がプロダクションからの派遣ですから、そんな教育さえ受けていませんし、そもそも先輩たちにまともな人が少ない。(笑)
報道被害をなくしていくためだけでなく、メディアのなかで自立した個人として活動していくためにはメディア・リテラシーというものをきちんと勉強しなおしたほうがいいと思うのです。学校教育ではメディア・リテラシー教育流行りのようですが、新聞を読んだり、パソコンの使い方を教えるという域を出ない(出にくい)。一般的にメディア・リテラシーを高めるためのいい教材がないのが現状だと思います。そこで、ぼくが薦めたいのは日垣隆さんの『情報の目利きになる!』(ちくま新書・七〇〇円)です。
「メディア・リテラシーとは、私の考えでは、情報の目利きになる、ということです。これは学校で扱い切れる範疇を越えています。広い意味での識字は学校教育の課題ですが、メディア・リテラシーは社会人の教育的テーマです。仕事の現場でリテラシーは、良きプレゼンテーション、あるいは説得力として機能します。
それを身につけることで何に役立つのか。
偏った情報に接したとき、それが偏った情報であることを見抜けるようになる。
できるだけ自分を、あるいは自分たちを客観的に見ることができるようになる。
読書や調査が効率的になる。
ほかにもいろいろあります。それを本書に詳しく書きました」(9〜10ページ)
著者の日垣隆さんはぼくがリスペクトしている書き手のひとりです。日垣さんは世の中で正義やら善とされていることを緻密な調査にもとづいてひっくり返し、それがじつは偽善的であることを見せてくれます。代表的なのものとして、大ベストセラーになった『買ってはいけない』(週刊金曜日刊)は食べ物や家庭薬品などを指弾していますが、氏はその根拠がいかにいいかげんなのかを鮮やかに開示してくれています。
『情報の目利きになる!』は氏のサイトに寄せられた読者との一問一答方式でわかりやすく書かれています。とくに高校生に読んでほしいのは、「どうして旅にでるの?」という氏の娘さんからの質問に答えている章です。まあ簡単に内容を紹介すると、日垣さんは「いろいろなことをよりよく考えられる」環境を求めて旅をするのだと答えているのだけど、ではいったい「考える」とはどういうことか、が明快に展開されていくのです。その先はぜひ買って読んでほしい。現代版「知的生産の技術」の傑作だとぼくは思います。