

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2002-09-16 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
現在、書店に並んでいる『噂の真相』の「メディア異人列伝」にライターの永江朗さんに書いていただいたように、私は犯罪被害者と邂逅を重ねることによって、それまで固定化させてきた考え方を大きく変更せざるをえなかった。例えば少年法については、犯罪を犯した少年を更正させるための有意義な法律であると思い込んでいたが、被害者の側から見るとまるでちがって見えるようになった。大雑把にいうならば少年の更正のために、被害者遺族は情報さえもらうことができず泣き寝入りさせられている現実。そして、いわゆる少年法の温情主義がどの程度、少年の更正に寄与しているかどうかもはっきりしたことはいえないし、可塑性が高いとされる少年には厳罰よりも健全育成のほうがよいという「信仰」が一人歩きしてきただけではないのか、と思うようになった。いや何十年か前はそうだったが、いまはどうなのかという検証がなされていないのである。加害少年の「人権」を守るということによって、それによってなんの落ち度のない犠牲者を踏みつけにしてきたという現実は、私に「人権」というものをあらゆる側面から見なければならないという当たり前の視点を持たせてくれた。金科玉条のごとく少年法を祭り上げ、加害者の人権のみを主張してきた学者や弁護士、ジャーナリストの言説を疑うようになった。これは、物書きにとって常識中の常識なのだが、それまでの私はそれが欠けていたのである。恥ずかしながら告白したい。
私は「死刑」については考え方を保留にしてきた。というより、死刑についての本は大半が廃止論だし、私の周囲にいた人々は廃止論者だったせいもあり、私もその影響を受けてきた。しかし被害者遺族とのお付き合いをはじめてからは考え方を変えざるをえず、私は改革的存置主義をとるようになった。次号の『文藝春秋』で私は死刑についての被害者遺族がどう考えているかを取り上げるが、私の持論も織り込むつもりである。これまで、死刑をめぐる議論の中で一方の当事者である犯罪被害者遺族の声が皆無に等しかったことに驚きつつ、取材をいまも続けている。