

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-10-29 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
本は順調に売れ、反響は数カ月間、途切れることなく返ってきた。シンポジウムを主催すれば百人単位で若者が集まった。学生街に借りた2万ちょっとのワンルームマンションの事務所には訪問者が引きも切らず、1年ほどで名古屋駅裏の家賃6万ぐらいの広めの1DKのマンションに引っ越した。私は1冊の本が生み出したネットワークの中心にいることに酔っていた。
20歳ぐらいの連中が集まると、当然のことながらカップルができたり、揉め事が起きたりした。事務所には家出人が泊まり込んだり、酒盛りの場所になったり、ときにはラブホテルがわりになったりもした。当然といえば当然だ。鍵は10人以上の者が持ち、24時間出入り自由のビルだったのだから。たちまち、部屋には生活臭がたちこめ、会員制のサロンのような雰囲気になっていった。
私は事務所を借り、家賃を払いつづけた理由は、ここを管理教育を告発していく若者の基地にするためだった。ミニコミをつくる編集部にしたり、ビラなどを刷る印刷機も置きたかった。問題が発生した学校に出向き「反抗有志」をオルグしたら、かれらが作戦会議をする場所に使ってほしかった。
しかし、そういう方向性に向いたのは最初の事務所のときだけで、引っ越しをしてからは急速にサロン化していった。本の求心力が衰えたせいもある。
そして、こんな現象が生れはじめた。私の事務所に出入りしたり、関わりを持つ事が、いわば市民運動をやっていることになると幻想を持つ若者が増えはじめたのだった。いま思えば、そういう学校からの逸脱の仕方も認め、懐深く受け入れていくべきだと思うが、当時の私にはそれはできなかった。具体的に闘争を組み、実際に交渉の相手を想定し、心身ともに社会に打って出るスタイルこそが「運動」であるし、そのために事務所も借りていると思っていた。私はサロン化したわが事務所の状況にいらだちを覚え、ただ集まってくるだけの同世代に不満を持つようになっていってしまったのだった。