

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-10-22 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
私の著作は順調に売れた。べつにもの書きになろうと思って書いたのではないから著作なんて呼ぶのはヘンなのかもしれないが、どこの大型書店に行っても平積みにしてあって、それを見ているだけでうれしかった。時々、人が手にとってそれをレジに持っていくのを目撃したときはその場でガッツポーズをしてしまった。さぞ周囲の人は怪訝な顔で私を見ていたにちがいない。
本を出して2〜3月後、私は集会を企画した。「管理教育はいかん祭」通称「かんかん祭」という、ちょっとふざけたネーミングにした。何とか総決起集会なんてダサイと思っていたから、そういうのだけはやめようと話し合った結果だった。いっしょに愛知の管理教育について告発運動をしていた大人たちとの共同開催だが、そこに高校生や10代だけで600人以上集まったのである。東京から、保坂展人を呼び、学校をどう変えるかという議論や、こんな実態があるという報告をしてもらった。政党や宗教団体の青年組織ならばそのぐらいは軽く動員できるのかもしれないが、何の組織ももたない私たちの集まりにそれぐらいの若い世代が集まったのは奇跡に近かった。そう、学園闘争を経てきた大人たちも言っていたのだ。
それほど、愛知の管理教育に対するフラストレーションは高まっていたのだった。自分が理不尽と感じたことは泣き寝入りせず、訴える。教師とわたりあう。孤立してしまえば、学校の外にでて、それこそ私たちがやっていた運動に合流して、告発する。それらはかなりの体力や気力のいる活動だったが、私たちはメッセージを送りつづけた。闘え。闘え。声を上げろ、と。
私が印税をつぎこんだり、借金をしたりして借りた「場」はいつも、高校生ら若者で溢れていた。仲間は数珠つなぎ式に膨れ上がっていった。マスコミの取材も引きも切らず、私個人への取材やマスコミへの登場も多くなっていった。しかし、同時に、いくつかの疑問も抱きはじめていた。