

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-08-27 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
高校生の私が頻繁に連絡を取り合った相手に、当時「学校解放新聞」なるミニコミの発行準備に追われていた保坂展人氏(現・衆議院議員)がいる。20代後半の保坂氏は若者向けの芸能雑誌に記事を書いたり、沖縄からミュージシャンの喜納昌吉らを招いて、反核コンサートなどを主宰していた。コンサートにはいろいろなバンドが出演したがブレイク前のザ・ブルーハーツも参加していた。学校解放新聞は、当時、社会問題化していた「校内暴力」を生徒側の視点から報告しようという主旨で動きだそうとしていた。新聞社兼保坂氏の事務所は東京・代々木にあった。
彼は裁判の原告の身でもあった。15歳のとき受験したすべての高校に不合格だったのは、政治活動をしていたこと内申書に悪く書かれたためで、それは憲法に保障された政治活動の自由の侵害であると「内申書裁判」を起こしていたのだ。
私は保坂が名古屋に来るたびにホテルに押しかけ、さまざまな話しをした。私が保坂にひかれたのは、保坂はアジール(一時避難所)のような若者のスペースを東京のなかにつくることをもくろんでいたからで、名古屋にも同じようなスペースができないものかと私は胸を躍らせて話を聞いていた。支持者の援助を受けたり、仲間とカネを出し合い、スペースを借りる。そこを拠点にして、「管理教育」を変えていくための運動の作戦を練る。あるいは講座をやったり、みんなで飯をつくって食うこともしたい。犯罪的行為を教育と勘違いしている学校や教師と渡り合うための、10代の基地にする。そんな思いが私の中でふくらんでいったのだった。保坂氏は世界の革命の立役者の言葉を引きながら熱っぽく話した。
そんな頃、私にある東京の出版社から連絡があった。本を書かないか、というのだ。私は自分の耳を疑った。