

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-08-13 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
私の返信と質問に対して日垣さんから次のような内容のメールが届いた。一部を省略するが掲載したい。まず、私が十代の頃に見聞きした愛知の「管理教育」について、「犯罪教育と呼んだほうがいいですね」と日垣さんの意見に同意したことについて(この言い方は日本語的に間違っていて、これでは犯罪を教えることになってしまうのでいまさらですが訂正)の返答から。
[「犯罪教育」ではなく、犯罪です。人権を侵しているかどうかは、関係ありません(被害者の人権は我が刑法はうたっていません。ですから、藤井さんも、刑法改正に与してください)。ヘアードライヤー殺人(藤井註・1985年に起きた岐陽高校体罰死事件のことで、修学旅行で禁止されていたヘアードライヤーを使っているところを見つかった男子生徒が教師に暴行を受け殺された。その学校では体罰が横行していた)ももちろんそうですが、髪の毛を(判例では50本以上)切っちゃったりするのは傷害罪です。しかし靴下を指定するのは犯罪ではありません。その両方を「人権侵害」で斬ってしまったことで、一時的な効用はあっても、暴走のルーツはそこにあった、ということだと思います。人権は、この言葉の成立時点(1770年代)から一貫して「革命(主従転覆)の正当化」以外のものではなかったと私は言っているのです。日常的には「わがまま」ということにならざるをえない概念です。「わがまま」を否定しているのではありませんよ。「わがまま」には節度と品格が必要だ、と言っているだけです]
そして、私の「逆に教えていただきたいのは、日垣さんが書いておられる『適度な管理』という言い方についてです」という質問に対しては、[これは、以下のものと同じだと考えてくださって構いません]と、私の日垣さんへの返信から「学校は集団である以上、ルールは必要だし、合理的な理由にもとづいた管理も必要です。ぼくはそのことは否定していません」という箇所を抜き書きされている。そして、[「合理的」の中身には明文化しにくいですが、少なくとも「生徒が納得するような」でないことは当然です。ここらあたりは、(藤井君と私の)意見の相違だと思います。3人の子どもを18年にわたって育ててくるなかで、「子どものため」と口にする教師や親の偽善を腐るほど見てきました]とお書きになっていた。
日垣氏は現在売られている『諸君! 』で八木秀次氏(高崎経済大学助教授・近著の『反人権論』で藤井の『生徒人権手帳』を批判している)と「暴走する人権」というテーマで対論している。人権をイデオロギシッュな立場だけから考えるのではなく、あくまでも現実に即しながら、そもそも「人権」とは何なのかという根源的な問いかけをおこないながら、この社会における人権のあり方(子どもの人権含めて)を検証する仕事を続けていきたいと私は思う。日垣さんに感謝。