

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-07-16 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
学校にむかつくとか、教師の言動を許せないとか、高校生のときに抱きだしたそんな感情を私は持て余していた。それがどうして「悪い」のかをうまく表現できなかったのである。その爆発しそうだった感情は、もしかしたら反対側(学校や教師の側)から見たらまったく見当違いで、私がむかついている対象には正当な存在理由があるのではないか。事実、私たち「活動家」高校生を非難する大人たちは、「子どもだから大人に管理されるのは当然だ」「体罰は愛の鞭だ」「どんな校則も必要だ。なぜなら、社会にもルールがありそれを守るための練習だからだ」「生徒は学校を選んで入ったのだから学校の言うことにすべて従うことは義務である」等々・・・私は何かを言い返したくとも、言い返せないジレンマに悩まされていた。高校生の若武者気取りでは、大人に対抗できないことを身に沁みてわかったのだった。
だからこそ、私はそれまで読まなかった本を乱読するようになり、そのなかで「人権」という言葉に出会うことになる。いうまでもなく、人間として生れた時、自然に誰にでも保証された生きるための権利。天賦人権と考え方が個人主義・自由主義の根幹になっていることを知ったのだった。そして、それを具現化した憲法や国際条約、国内法などを学校にあてはめて読んでいった。
私はたちまち一つの強い確信を得る。自分たちが怒りを抱いている「管理教育」の実態を言い換えれば、明白な子どもの人権抑圧教育と言い切ってしまうことができる、と。管理教育は人権抑圧教育なのだ。私は学校でおこなわれているさまざまなこと、教師の言動を法律にあてはめていった。学校でおこなわれていることの多くが、法律に違反しており、法的根拠がまるでなかった。「教育」という名のもとにそれが正当化されていたのだ。前述した「子どもだから大人に管理されるのは当然だ」等の言い分は学校でしか通用しない「慣習」のようなもので、人権をまるで無視した言い方であることを表現できるようになっていったのだった。