

1965年愛知県生れ。ノンフィクション作家。主な著書に『17歳の殺人者』(ワニブックス)『学校的日常を生き抜け』 (教育資料出版会)『美しき少年の理由なき自殺』(メディアファクトリー)など。
2001-07-09 号
藤井 誠二(ノンフィクション作家)
私は小学生の頃は読書が大好きな子どもだった。とくに北杜夫の小説にのめり込み、氏の昆虫(それも甲虫)狂いがのりうつり、私も甲虫採集少年になってしまったほどだ。ところが、中学生になると部活と授業についていくのでいっぱいいっぱいになってしまい、教科書以外の活字を拾うことはなくなってしまった。あれほど本が好きだった子どもが、活字を追うのが嫌になってしまったのである。中学3年のとき、卒業文集を作ろうという提案にも、「めんどうだ」と反対したほどだ。書くのも読むのもかったるくてしょうがなかった。受験勉強のためだけに「文字」はある、というぐらいの精神状態だったのかもしれない。覚えなければいけない、暗記しなければいけないというプレッシャーが私を活字嫌いにしたことは間違いないと思う。活字離れとか本離れということが言われているが、おそらく文字を摂取することを強制されるがゆえに、必然性のない文字を覚えなければならないがゆえに、文字離れしている10代は多いと思う。
私が再び、文字というものと深く付き合いだしたのは高校時代に、「活動家」としてそれまでの生活を一変させてからである。いや、愛知の「管理教育」の実態を描いた本を一読したとき、そこに書いてある文字がまさに躍るようにして私の中に入り込んできたのだった。激しい怒りの感情を伴い、私は類書を読みあさるようになった。法律書や社会科学系の本を読み出したのもそれからだ。
なぜか。理由はシンプルだ。高校生の私が「愛知の管理教育」を読み解き、それをおしすすめている体制や教師たちと闘うために理論武装をする必要があったからだ。管理教育の狙いは何か、どこがまちがっているのかなどを知るためには、それについて書かれている本を読むことがいちばんの近道だった。嫌いだった文字が、まるで生きるために必要な酸素のように私の身体の中に吸収されはじめたのだった。そんな体験は初めてだった。私はそんな自分自身の変化に驚いていた。